2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

成功する為に最初にやるべき事は、 無気力や投げやりにならず、 政治・経済や社会・業界の悪口を言わず、 事態が自然に好転することに望みを託さず、 今自分を取り巻いている諸々の悪条件を、 すべて前提条件として受け入れる事。 その上で「何ができるか」…

禅定が得られないのは、 瞑想の技術が未熟だからではありません。 信(Saddhā)が足りないからです。 正確に言えば、 信を喚起して育てる技術が未熟だからです。 誓願と随念が未熟だからです。 不善思考を抑え込む技術が未熟だからです。 私達はこのことを、…

野戦病院で必死に負傷兵を治療する、 医師や看護師の心構えが必要です。 彼らには戦争を批判したり、 敵に怒りを持つ時間はありません。 そんな事は平和になってから幾らでもやればよい。 今は愛の心で、 傷ついた人々を全力で治療する事に集中すべきです。 …

運転シュミレータというゲームがあります。 一瞬一瞬現れる新しい局面に、 素早く適切に対応して衝突しないよう運転していきます。 熟練したゲーマーは無風の水面のように静まった心で、 パッパッと的確にハンドルをさばいていくのでしょう。 安般念や気づき…

紀元前5世紀、 仏教はヴェーダ文明のアンチテーゼとして登場しました。 仏教がインドで誕生する事は必然でしたが、 アンチテーゼの故に、 同地に永く定着する事はできず、 その修道はむしろ、 国外で多く実践されることになりました。 同様の文明のイタズラ…

修行の天才とは速度や容量の過剰性ではなく、 謬見を正見に昇華する能力をいいます。 彼は周囲への不適応の故に、 論語の学而第一、 「人知らずしてうらみず、亦君子ならずや」の徳を、 必ず身につけなくてはなりません。 君子たるを得て漸く彼は、 世におも…

如(にょ)とは(ごとし)で、 あるがままという意味です。 故に仏教では、今この瞬間のあるがままの真実を、 「真如」と呼びます。 また心に「如」を持てば「恕(じょ)」となります。 恕とは「人が生まれながらに持つ慈悲」を指し、 無貪・無瞋の、囚われ…

深く精妙な心は、 突然、得られるものではありません。 寸暇を惜しんで専注を重ね、 日々の精進によって習慣化し、 やがて高い意識が縦糸と横糸となって、 私達の菩提心を織りなしてくれるのです。 専注の習慣により得られる「深く精妙な心」と、 「最高の徳…

誰もが理解できるようなやさしい表現であっても、 智慧ある者による法話と、そうでない法話には、 天と地ほどの開きがあります。 如何に平易に語られていても、 智慧者の法話には、 精密なアビダンマの考察に耐えうる正確さがあります。 一方、単に情的なだ…

パオ僧院ではよく停電がありました。 新月の夜に灯が消えると、 暗闇で四つん這いになり、 曲がりくねった百五十段の石段を、 手探りで確認しながら、 自分のクティまで戻ったものです。 人生で初めて、 月の光の有り難さを実感しました。 正に世間は漆黒の…

世俗から離れるとは、 世間から遠く離れた處に住み、 世間の人々と交わらずに生きることではありません。 人を傷つける言葉や行動、 慢心や害意といった、 世俗の人々を汚している「身口意の三毒」を離れる、 という意味です。 出家/在家は問題ではなく、 …

清らかな信を持つ者は幸いです。 一切の善は信から生じます。 彼は信を自らの水先案内人とし、 謙虚さと誠実さを善友とし、 八正道を踏み外すことなく、 長き道のりを安全に確実に歩んでいくことでしょう。 一方、信無き者は、慢心と恐れを道連れとし、 暗闇…

あなたが自我と捉えて離さない意識の連続体を 客観的に見つめ、 今まであなたが如何にその連続体に執着し、 犠牲を払い、えこひいきし、 不善を為してきたか、思い出して下さい。 もし愚かさや虚しさで悲しくなったら、 一気に自我を手放してしまいます。 そ…

「一切の有情が安楽でありますように」 いくらそう繰り返しても、 それだけでは慈悲は育ちません。 慈悲は言葉ではありません。 慈悲で心を満たすには、 先ず思考を止めて心を空虚にし、 心奥にその萌芽を感じ取って下さい。 そうすれば慈悲は上へ下へ四方八…

尋伺は菩提心を藁草のように萎えさせます。 菩提心は仏や法や聖弟子を、胸の中央で熱く受容します。 尋伺は「この修行をやればこの果報が得られる」と皮算用します。 この二つがぶつかれば、菩提心は尋伺により命を削がれ、 仏法僧へと燃え上がった得難き情…

あらゆる思考活動は、正念正知を阻害します。 考えている限り、気づく事はできません。 一切を自他の比較という視点で捉え、 競争心を燃えたぎらせながら、 今の自分自身から、自分でない何かに移行する事に、 必死になっている限り、 あなたに幸せは訪れな…

取捨選択の傾向性が心奥に残っている限り、 あるがままに現象を識別することはできません。 私はこうなりたい、こうあるべきだという謬見が、 完全に沈黙しない限り、 五蘊の無常・苦・無我を看破することはできません。 何も積み上げず、追い詰めず、 完全…

凡夫の心は、 あなたが想像しているよりずっと不安定で、 一瞬でも気を許せば、 すぐに不善思考のスパイラルが始まります。 故に日に何度も、 真心の誓願を宣誓し続けなくてはなりません。 誓願から信が育ち、 信から一切の善心所が生まれます。 私達仏教修…

順風では慢心が足をすくい、 逆風では恐怖心が希望を萎えさせます。 Greed and Fear. 貪りと恐れ。 人も天神も、動物も餓鬼も、 これらの煩悩の操り人形となって、 輪廻の濁流の中を浮沈しつつ移ろっていきます。 聞法者よ、正にこの世では、 諸悪莫作・衆善…

もし今、あなたが逆境にあるなら、その現実を先ず味方につけましょう。あなたの明日の成功は、現在の逆境からのみ導き出されるのです。身の周りの不具合を注意深く観察してみましょう。必ずどこかに、今まで気づかなかった成功の鍵が隠されています。起死回…

答えや解決法を求める事なく、 目前の問題をただ見つめて下さい。 私達の認識は条件づけられており、 思考は無明という引力に引っ張られています。 論理は常に不完全で、 正しい判断は得られません。 私達が依存すべきは、 信・念・慧による直接知覚です。 …

「ダンマを語れ、さもなくば沈黙せよ」 この「聖黙の訓誡」は身語意の三門に拡げて捉えて下さい。 身門へ開いて「悪事を為さず善事を為せ」 即ち七仏通戒偈として、 意門へ開いて「ダンマを思え、さもなくば思考を止めよ」 即ち正思惟として、 実践していき…

一つ手放すごとに一歩、 あなたは寂静なる至福の境地へ近づいていきます。 執着や怒り、嫉妬の対象、 過去の記憶やトラウマから、 一つ、また一つと、自らを解放して下さい。 渇愛を手放すたびに、 心は清浄な喜びと自由を得るでしょう。 そして世界は、 あ…

今この瞬間に起きつつある現象をあるがままに観ることが、 なぜそれほど難しいのでしょうか? それは現象が人の眼を欺くように表象するからでも、 内在する本質をえぐり出す事が困難だからでもありません。 現象を顛倒見で捉え、 常住の雛形に沿って認識する…

科学者が仮説に沿って論証を進めていくように、 修行者は誓願と観想に沿って修行を進めます。 自らを金剛弟子と為し、 八葉蓮華を踏みながら道場に入ると観ずれば、 依報正報とも清浄となり、 心はダンマにしっかりと向かいます。 誓願と観想に通ずる事は、 …

砂糖の甘さを言葉で伝えることはできません。 実際に舐めてもらう以外伝達方法はありません。 菩提心の至福も言葉で伝えることはできません。 実際に体験してもらう他ありません。 頭で捉えただけの仏教はすぐに消滅します。 故にどんなダンマも、 しっかり…

私達が望むように人は動きません。 私達が望むように世の中は変わりません。 私達が望むように未来は現実化しません。 私達には期待と執着ではなく、 無常と無貪に沿った新たな信条が必要です。 「悪い事をせず善い事を為せ。」 これこそ今この瞬間を生きる…

事実とは、 その刹那に直接六門で感受し経験する現象だけをいいます。 そこに思考や論理が加わり、 その現象の名称や意味、正誤・善悪を考察し始めれば、 それは解釈であり、 事実ではありません。 ヴィパッサナー修行の土壌である究竟法は、 事実だけを扱い…

初禅自在智は、 仏教修行で得られる最初の智の一つです。 精励と波羅蜜によって、 この智を証悟した修行者は、 禅定がどれ程のものか、 その片鱗を経験し、 圧倒されることになります。 彼は以後、毎日数回、 鎮伏断の法験を得て、 不善尋伺による戯論が生起…

仏教修行の際には、 自らの心の深奥に不善な傾向性がないか、 注意深く観察するようにしてください。 いくら善行を重ねても、 怒り、嫉妬、不安、反抗心、慢心が、 心の通奏低音として流れていると、 いつか僅かな隙間を通って心の表面に噴き上がり、 せっか…