2021-01-01から1年間の記事一覧

色声香味蝕の五つの感覚がInput、それらへの反応として生じる、善なる思い、善なる言葉、善なる行動、この三つのKamma(行為)が、私達にできる最善のOutputです。水田に水を引くように、このInputからOutputへと流れる川を心に刻み込むよう随念し、善行の流…

どうしたら思考を抑制できるでしょうか?いくら力んでも思考は止まりません。むしろどんなに多くの思考が生起しても、内容に関与せず無視すればいいのです。各々が持つ小さな世界、独特の価値観に、耳を傾けなければいいのです。全く相手にしなければ、やが…

心を静め、呼吸が微細になった状態で、傍観者の視点で壁に描かれた黒点を見て「見る」という行為を観察すると、「見る」とは目に映る色彩対象を心が知る事に他ならないと実感します。思考しないので見ている主体も、対象の名前も心に浮かばず、静寂で純粋な…

疫病、紛争、経済恐慌等で明日がいかに絶望的に思えても、世界の終焉は決して来ません。私達の不善心は何でも極端に捉えたがりますが、世の中はそれほどナイーブではありません。社会がどの方向に動こうと、そこに刺激を求めてはなりません。ただ自らの心だ…

あなたから、あなた以外の何かへ移行しようとしていませんか?ありのままのあなたでない、別の何かになろうとしてはいけません。自分を何かにあてはめようとしてもいけません。瞑想しよう、何かを見つけようとする必要もありません。何も掴まず、拒絶せず、…

臆病な心は、トラブルを回避しようとしたり、大切なものを失う事への恐れから、おもわず不善を犯してしまいます。ダンマを信じる心は、法を聴き、法を理解し、学んだ善なる法を実践する勇気を持っています。私達はみな弱く臆病です。でもだからこそ、三宝を…

酷暑のビルマの僧院の庭先でも、ひとたび慈悲の禅定に入れば蚊に全く刺されなくなります。私は自らを防御する為には、太陽のように慈悲を放射すればよいというダンマを実感しました。先制攻撃しても、鬼道を用いて戦わずして勝っても、相手に復讐心を喚起さ…

仏教の智慧をどう育てるのか?「人の命は無我である」というダンマを例にとれば、この理法の意味を理解した上で、様々な人々の人生においていかに死が思いがけぬ時に意図せぬ形で訪れるかを随念し、人の生死が意のままにならぬ事をしみじみと実感することに…

業とは放たれた矢です。私達は毎秒、無数の業の矢を放ち、毎秒、無数の矢に射られています。放たれた矢を打ち落とすことはできませんが、善行で毒矢に射られにくい条件を一時的に調える事はできます。過去の因縁は解脱できませんから、今後、悪因縁を形成し…

Satiを見誤ってはなりません。Satiは気づく行為でも意欲でもなく、気づく対象を探す事でもありません。あちこち対象を移していく衝動は、Satiにはありません。Satiは対象を変える事を好みません。Satiを使って識別するのではなく、Satiが現象のあるがままの…

想像して下さい。米国大統領か、世界企業の創業社長のあなたを乗せたプライベートジェットが今着陸態勢に入りました。さあ、あなたの繁栄と安全は、後どのくらい続くでしょうか?社会が本源的に持つ不安定性を感じることができますか?一刻も早く自己完成せ…

いつも過去を振り返り、未来を追い求め、今この瞬間を忘れているのであれば、人生は長い白昼夢となってしまうでしょう。あなたに気づきの瞬間が生じ、ずっと深い眠りにおちていたことに気づくなら、あなたはその時、確かに目覚めています。でも油断をした刹…

この因によりこの果が生ず、という縁起の法則に例外はありません。行為には必ずそれに相応した結果が伴います。結果から逃げおおせると思っているのなら、大きな間違いです。いつ結果が結ばれるかは誰にも分かりません。しかし必ず結果はその因となる行為を…

禅定にはいる為には、バンジージャンプの飛び込みの瞬間の様な勇気が必要です。絶対の信がなければ飛び込む事はできません。一点の疑いも無く、自分の全てを委ねてしまう自己放棄。そんな一途でひたむきの心にこそ禅定は訪れます。禅定、禅定と貪る心に、あ…

嫉妬とは、他人が持っているものをあなたは持っていない事実を受け入れられないという感情です。実は多くの場合、嫉妬自体より、嫉妬する状況への不安が苦しいのです。あなたが持っていて、他人は持っていない事を明確に認識して心を静めましょう。嫉妬への…

国家でも個人でも、善意と慈悲の心がないなら、高度な技術力、潤沢な経済力、圧倒的な権力など、持たないほうがいいのです。技術も財も力も、不善心で行使すれば凶器になります。私達仏教徒は、いかに多くの方々と喜びを分かち合えるか、ワクワクしながら計…

私があなたに対して常に平安な心であれと祈る時、私の心を席巻するのは、どうか他人に対して怒りや害意を持つ事がないように、嫉妬する事がないように、菩提心が萎える事のないように、との願いです。自らを決して傷つけないで欲しい!そう心から祈っている…

78億人が生きるこの世界で、あなたが出会い言葉を交わした人は何人いますか?きっとその方々の多くとは過去世からの縁で結ばれている筈です。今生で敵だったとしても訳あっての事。できるだけ早く仲直りしてしまいましょう。今生で彼を攻撃すれば、次世であ…

生きとし生けるものが幸せでありますように。そう書き記す方は大勢いらっしゃいます。しかしMettāは単なる言葉ではありません。日々の暮らしの中で実践されるべきダンマです。困っている人達に手を差し伸べていますか?私達は日常の言葉と行動の実践の中でMe…

二十四縁起でも、業と業果の関係でも、現象は常に多因により生起し、果報は常に多果となります。故にお釈迦様は、完全な因果の識別は如来でも容易ではないと仰いました。現象は消滅するから苦なのではなく、生起するから苦なのだということを随念して下さい…

先にやさしくして拒絶されたら傷ついてしまう。だから先にやさしくして欲しい、そうすれば幾らでもやさしくしてあげられる。。。善行は取引ではありません。相手からのやさしさを期待する暇があったら、今すぐやさしくしてあげなさい。慈悲であれダンマであ…

今この瞬間に至福と法悦があるのに、思考がその瞬間をあなたから奪っていきます。いつまでそれを許しているつもりですか?過去の記憶に汚染されるのは苦です。未来への期待と不安が交錯する動揺は苦です。不善思考で価値を捏造する事も、二辺を比較し貪で判…

ミャンマーの僧院の外国人比丘達の多くは、なぜか作務をやりません。自分のクティから主な僧院施設に至る道を、毎朝掃き清めることすらしない。信なく学なく奉仕せず。これではまともな禅定ができるはずがありません。時代は変われど仏教は師資相伝。雑巾掛…

初めて禅定に入る時、あなたは消え入る程の謙虚さと法を恐れる想いに打ち震え、仏陀ダンマへの絶対の信に胸を焦がすことでしょう。信と慚愧なしに入定はできません。もし禅定に入れないなら、先ず法に対する謙虚さと三宝への信を自らに確立して下さい。そう…

「今日は佳き日なり」そんな幸せを感じる時その喜びの源泉は何ですか?賢者は燃え上がる菩提心の眼で、走馬灯のように変転する世界を見ます。家族との時間や仕事の成功、恋愛の成就や健康の回復、無常なる輪廻世界の一瞬のSnapshotの永遠化を期待しているの…

そこに気づきがある時、必ず手放しがあります。手放しのない気づきはありません。今この瞬間、五門の何れかに生起する所縁を観察せんとするなら、未だ生起していない、或いは既に消滅した現象への思惟を放棄しなくてはなりません。不善思惟から離れた純粋知…

時間や行動を厳守するのは、心に煩悩の囁きを入り込ませない方便です。「天衣無縫に生き法を超えず」の理想を目指し、自らを律していくのです。自らを律していく方法をダンマから学び、その上で自ら守っていく「自分のルール」を決めて、厳格に守っていけば…

私達に必要なのは自分を縛っているロープを引きちぎる力です。自分を縛って、制限して、できない理由をたくさん挙げて、「ほら、やっぱり無理だ、できっこない・・」と諦めて安心する・・。もう止めましょう!先入見は、可能を不可能にします。先入見を破壊…

善行は投資、不善行は浪費に例えられます。利ざや感覚のある人は無駄使いせず、余剰資金は将来への投資に使います。まるで明日がないかの如くに貪れば、翌朝、確実に苦しみが訪れます。せっかく人として生を受けたのですから、不善行を避け、少しでも福徳を…

人種や国や思想で人を判断してはいけません。どの国にも本当に素晴らしい方々が沢山おられます。私自身、多人種・多国籍・多思想の環境で20年以上、様々な方々と修行をしてきたので、人々の優しさを身を以て知っています。私は将来、天界の様な多国籍僧伽を…