2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

これから何処に流転していくのか?どれ程の不毛な生存を生きていくのか?太古より幾万の苦しみの輪廻を生まれ死に生まれ死んだ末に、今また束の間の生存の中で、一切の無常性と苦性を思い知らされる時、世を厭う想いが心奥から堰を切って溢れ出し、涅槃を希…

三宝を遙か彼方に想うのではなく、毎週の布薩会で感じ取って下さい。涅槃への修行道を出家後に始めるのではなく、今日のあなたの瞑想で解脱へ一歩近づいて下さい。お釈迦様をいつも心に瑞々しく随念し、自我を完全に放棄して三宝に総てお任せし、お釈迦様の…

法を求めて止まない人は、その場でスポンジのように、すべてを吸収します。知識のカタログを貪る人は、欲しいものを手に入れると、本箱に入れて安心し、決して学ぼうとしません。究極の真理を悟るのは前者です。後者の得るものはとても少なく、なんだかんだ…

袖振り合うも多生の縁といいますが、仏伝やジャータカの例を挙げる迄もなく、私達は身の周りの多くの方々と、輪廻を超えた強い縁で結ばています。今生で相手に害意を持てば、必ず未来世で相応した報いを受けるのです。友人も同僚も師も弟子も、みな大切な家…

心に生起する善心だけを修行の拠り所として下さい。どのような理由であれ、もし不善心が生じたなら、何かが決定的に間違っているのです。身口意の一切の行為を一旦止めて、すべてをリセットしましょう。せっかく得難い仏縁に恵まれたのです。この生存を決し…

我が身に降りかかる一切の事柄は、例外なく自らの過去の業を因としています。誰かが私達に理不尽な行為を為した時、原因は相手にあるわけではなく、私達の不善業がその人を通して、結果を結んだに過ぎません。如何に不本意な現象に遭遇しようと、謹んでお受…

精神的成長が滞っていると感じる時は、以下の四点を確認して下さい。必ず解決法が見つかります。菩提心は燃え上がっていますか?禅定修行の実践で日々心を調教していますか?毎日必ずやると決めた善行で人々を幸せにしていますか?学んだダンマを身の周りの…

自分は劣っている、見放されていると弱気になった時は、自分がどんなに仏縁に恵まれているか、どれ程の祝福を頂いているか、思い出して下さい。そして苦しむ人達を決して傷つけないと決意しましょう。あなたにはお釈迦様がついています。あなたは無敵です。…

私がマラソンから学んだ事:呼吸だけに専注して前に進んでいく事。外部の刺激は心を惑わせるので一切遮断してしまう事。思考はさらに心を惑わせるので完全に止めてしまう事。もうダメだという限界に至ると手放しの力が湧き上がってくる事。いつまでも走り続…

私達は仏教を誤解しないようにしましょう。論蔵はダンマを思想と誤認させ、律蔵は修行を戒律道と誤認させますが、根本仏教の原風景は瑞々しい経蔵にこそあるのです。心に燃え上がる信が、慈悲の光が、深奥から湧き出る誠実さや謙虚さがなかったら、私達が修…

思考によって頭に構築した仏教が、あなたを救うことはありません。お釈迦様のお説きになる真理は、愛そのもの、慈悲そのもの、光そのものです。清らかな慈悲の光こそが依るべき救いです。慧根のバランスは信根でとるのです。学んだダンマを菩提心に昇華させ…

文字で読んだり、耳で聞いただけの知識は、いくら重要だと思い、赤線を引っぱっても、そのうち忘れてしまうものです。苦労して苦労して暗記し、それを実際の現象の中でひとつひとつ確認し、随念し、体験し、実感していけば、その智慧は未来世に亘りあなたか…

善行を為す度に「この功徳が涅槃証悟の一助となりますように」と心から祈れば、その祈りは心底に沈殿し、波羅蜜を形成していきます。最低でも一時間に一度は心からの善行を為し、涅槃への誓願を積み重ねて下さい。そうすれば私達の心の連続体の舵をきって、…

すべて出し尽くさないと人間は成長しません。もうこれ以上は鼻血も出ない、という処まで自分を追い込むと、三宝が動き出します。そこから先は天が、仏が、助けてくれるのです。「安心・安全」とは羊の群れの中で生きる信条です。群れはそのまま四悪趣に堕ち…

楽を伴う現象であれ、喜を喚起しうる現象であれ、苦を伴う現象であれ、憂を喚起しうる現象であれ、いかなる快不快の判断もせず、一切の業果をありのままに受け入れつつ、息を吸って下さい。次に人として生まれ八正道を歩んでいるこの仏縁への感謝の想いに打…

無明は人の眼を覆い、無常性を常住と、行苦性を常楽と、無我性を主体と、不浄性を浄美と、見誤らせます。バケツ一杯の水をコップに注ぐことはできず、こぼれ落ちたダンマは、無明によって曲解されてしまうのです。これが伝法内容を禁他見とする理由です。ダ…

祝福は光と共にあります。三宝に護られていると実感すると、心は光り輝き感謝の思いで一杯になり、謙虚さが全身を席巻します。善なる想いの感染力は圧倒的です。菩提心が強く清らかに燃える時、私達は身体の内側が明るく輝き、まばゆい光が自身と信の対象を…

「名前ってなに?バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても、美しい香りはそのまま。。」シェークスピアはジュリエットに語らせました。究竟法と世俗法の違いがここにあります。Satiとは、バラという言葉を想起することなしに、一瞬一瞬、その瞬間の美しい…

私達は自分で気づいていない計り知れない能力を、心奥に秘めています。せっかく人間として生まれたにも関わらず、過去世で蓄積した福徳を十二分に開花させない事は、過去世の精進を踏みにじる不善行です。また能力を開花させるべく努力している他人を妨害す…

ダンマを学び瞑想修行をしているのに、以前より扱いづらい性格になっていないか、自らをよく観察してみて下さい。修行が進めば進むほど、どんどん人に優しくなるはずです。自らの浅薄な知識に慢心を持っていませんか?仏の慈悲の前に一切は無力です。私達の…

Dhamma Shoppingを続け、様々な道のいいとこ取りをしようとすれば、二兎追う者は一兎をも得ずで終わります。波羅蜜ある者は正道に選ばれ、発菩提し、三宝への炎の様な菩提心に自らを放棄し委ねます。自分の判断で道を選び、自力で歩こうとする者は、正道が現…

スタンザを一度読んだだけで、内容を知った気になる人がいます。彼はただ地図を手に入れたに過ぎません。経典のどこにどんな法が明かされているか、それを知って安心しているに過ぎません。スタンザを暗記も随念もせぬ人は、いくらダンマを知っているつもり…

いかに解脱を確実なものするか?私達人間は皆、解脱する能力を持っています。そうでなければ人間として生まれてきません。たとえ心が煩悩に汚染されていても、たとえ心身に障害を持っていても、必ず解脱へと舵を切る事ができます。私はどうしてもその事実と…

いま私達が親しく仏教を学べるのは、貴重なお釈迦様のダンマを2600年もの間、バケツリレーのように現代まで正確に伝え続けて下さった、名もなき多くの先達の方々がおられたからです。そのご恩に少しでも報いる為に、私達は大切な御法を感謝の心で学び、次の…

何かを為そうとの意志が生じた時、結果に至る一連の行為をよく分析しましょう。目的達成の為には多少の不善行為も厭わない、結果の正当性はそこに至るプロセスをも是認する、と考えるなら、私達は大きな間違いを犯しています。結果ではなく、一切の不善を為…

人間界は聖俗が同居している、混沌とした境界です。清らかな心には、光り輝く法悦の世界が映ります。心が穢れていれば、貪瞋痴の三毒で汚れた現象が、浄眼を曇らせます。人間界には六欲天の佇まいがあり、同時に四悪趣の汚臭に溢れています。人間の世界でど…

Appleの創始者であるSteve Jobsは33年間、毎朝、鏡を見て、「もしも今日が人生最後の日だったら、私は今からやろうとしている事を、本当にしたいと思うだろうか?」と自らに問うてきたと語りました。彼は日々、正に死随念を行じ、己が業を如実に受け入れつつ…

人生は私達が想像するより、ずっと奥深く味わい深いものです。何度か絶望のどん底に堕ち、浮世の地獄を経験してきた人の、欲のない明るさや機嫌のよさは、とても仏教的であり、感動的ですらあります。徳が充ち時が熟せば、必ずや彼は祝福されるでしょう。仏…

一瞬、思考が止まり心が静まると、そのままスーッとサマーディに入りそうになる、心がその状態に至るまで、徹底的に善行を続けて下さい。財施、法施、無財の七施、ありとあらゆる善行を、心と身体を尽くして力の限り行うのです。一見遠回りに見えますが、実…

菩提心が確立されていなければ、心を専注の対象に留め続けることはできません。専注していない心に精進はありません。精進のない心に修行から生ずる法悦はなく、法悦のない心に禅定も観智も訪れません。すべては謙虚で誠実な菩提心から始まります。これは私…