2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

白いご飯に籾殻の小さな断片が混入していると、口内の身識はすぐにそれに気づきます。一粒一粒の白米は識別出来ぬとも、異なる質を持つ地界は非常に微細であっても知覚出来るのです。同様に、もし修行者にたった一刹那、初禅心が生起すれば、彼はそのjhānaの…

思考が止めどなく現れては消え消えては現れる癖のある人は、瞑想の座に坐っていない時でも聖黙の修行をするとよいでしょう。言葉を発せず、思考せず、意門に現れた法所縁は現れた瞬間にすべて捨て去って今この瞬間だけを名称や概念に置き換えずに観察すれば…

釈尊の真の仏教を究めるには大寺派の三蔵を学んでから中観派の格調高い深遠な法を修習するのがよいでしょう。大寺派教学は仏教の基礎としては優れたものですがその単純化された論法には趣きを感じません。一方、中観派の行間から染み出るような孤高の佇まい…

たった10年か20年、或いは50年の栄華の為に、欲を貪り怒りをたぎらせ、心を汚してはいけません。たとえ世界で一番裕福になっても、その未来は実に不安定です。命が尽きれば奈落に堕ちていくかも知れません。私達には道があります。一刻も早く自己完成せよと…

幹や枝葉が太陽を目指して上に伸びていけばいくほど、樹木はそれが立つ土壌の中に根を深く伸ばしていかねばなりません。修行の意味を見失う事もあるでしょう。そんな時は霊性の向上を目指して最初に仏教の扉を叩いた時のことを思い出して下さい。あなたの菩…

無礙(むげ)とは妨げ無きという意味です。律経論の三蔵に精通している法無礙智。その真意を誤りなく捉えている義無礙智。難解な表現の真意をくみ取れる辞無礙智。以上三種の無礙智を使って自在にダンマを説ける楽説無礙智。これら四つの四無礙解智は、正法を…

身体のいたる処で、隅々まで地水火風を身調べしていきます。素速く行う必要はありません.ゆっくりと丁寧に、各々の特徴がPhṭṭhabba(接触)感覚として各部位で感じられることを確認していきましょう。明確な接触感覚を得たら、少しずつ身調べの速度を速めて…

四界分別観は、私達の肉体を構成する地界、水界、火界、風界を、各々の表面的性質、内的特性、表象の仕方、生起する直接因の四点から見分けて、これは地界、これは火界と、分別していく行法です。これはヴィパッサナーの準備行である名色識別の行法の入口も…

アナパナサティがうまくいかない時は必ず入息の中に毒があり、出息の中にも毒があります。心が貪瞋痴の三毒に汚染されている限り、清らかな出入息は望むべくもありません。鋭い正念正智を以て、今この瞬間の息は一瞬前の息ではないことを実感しながら、真如…

保守点検を怠り必要な修理をしなければ家は崩壊していきます。身だしなみを怠れば容色は衰えていきます。同様に読誦をしなければ聖典は汚れてしまい六門に生起する刺激から心を護らなければ修行者は堕落してしまうのです。法句経のこの偈は今も私達に原始仏…

何かを成就するには障害がつきものです。楽々と成功できるならそれは大したゴールではありません。お釈迦様ですら成道直前にMāraから総攻撃を受けました。あなたの目標が八割方うまくいった時点で最大の危機が訪れたら、それはGood Signだと知って下さい。あ…

仏教を通して自分を浄め高めていきたい、そんな想いで仏教を始められたのでしょう。修行成就に不可欠な三要素があります。菩提心を因(hetu)とする。大慈悲心を根(mūla)とする。修行を実践手段(upāya)とする。この三つを燃え上がらせていけば、誰でも自…

作意的に為そうとすればするほど何事も意のままにならぬ事を思い知らされるものです。目標が円満に成就する時は必ず見えない大きな力が働きます。そこには自ら値いする以上の祝福がやってくるという受け身の感覚が伴いその故に心が謙虚さで満たされます。誓…

感情は感情に過ぎません。原因に依って生じスパイラルを作らなければすぐに消滅していくべきものです。それが喜びであれ怒りであれ、感情に振り回されてはいけません。それが喜びであれ怒りであれ、粗雑で激しい感情は必ず不善です。粗雑な感情に気づいたら…

思考を止めて善を為すこと。思考が生起しない時間が長ければ長い程、心は浄まり、慧は研ぎ澄まされ、意識は菩提の岸辺を仰ぎ見るようになります。心に山積するガラクタをすべて脇に追いやるのです。そして寂静に住すること。あなたの心の蓮華の蕾みは、少し…

自らに対して常に問いかけて下さい。「今この瞬間に四念処はあるか?」自らの呼吸について身体の威儀姿勢について正智について、体内の構造や感覚について自他の肉体の老死厭悪について瞬間瞬間、五取蘊の連続体の流れの中に身受心法を観察して下さい。正念…

安般念や三相随念をレベルアップさせる為にSatiの性質を再確認しましょう。Satiは所縁を門柱として支え心と所縁を六門生起の感覚的刺激から護ってくれます。揺らがず、ぐらつかず、所縁を忘れず、心が所縁から離れる事を許さず、どんな時でもあるが儘に現象…

人の心は周囲の人達の意識を吸収し、それを映し出します。慈愛に充ちた意識の人々に囲まれれば、私達の心も柔和になります。怒りやすく暴力的な人々の中にいれば、心はすさみ、怒り易くなるでしょう。天国的環境に住みたければ、あなた自身が慈愛を放射し、…

もしあなたに今生で為すべき目標がありまた愛を貫くべき大切な人がいるなら、あなたの目標とその人を愛する事が矛盾なく一体となるように、どちらも諦めたり傷つけたりしなくてすむ様に、愛することを目標の一部に矛盾なく組み込んでください。そうすれば愛…

音に対する気づき:耳門の声所縁だけを感受することはとても難しいことです。ラジオの声だけに耳を傾けて下さい。ちょうど外国語を聴いているようにあらん限りの気づきを持って、決して意味に心をとらわれることなく音だけを聴くのです。五門から思考を切り…

安般念を修行する時、接触をとおして自らの色取蘊を構成する地界火界風界を感受し、瞬間瞬間その所縁感受を次の刹那に手渡していくこと、但し接触感覚は受動的に感受すること、その為に接触の感度は今の十倍にすること等を誓願してやってみると、ブレイクス…

生きるとは今この瞬間に一つの対象を経験する事に他なりません。音かもしれない、色彩かもしれない、私達は一刹那に一つの対象しか経験できません。過去は既にセピア色の記憶となり、未来は誰にもわかりません。私達が生きるのは今この瞬間という一刹那のみ…

解脱へ向かって心を成熟させる為の五つの随念があります。1. 無常を随念する。2. 無常の故に感受する行苦を随念する。3. 行苦の故に感受する無我を随念する。4. 止観によって煩悩が抑制される時に 感受する平安を随念する。5. 世間を厭い涅槃を希求する想い …

お釈迦様は説かれました。ダンマを学ぶ者は真のダンマを次の世代に手渡す努力をすること。ダンマを暗記しその意味を正しく理解すること。暗記したダンマをよくまとめ次の世代に確実に手渡すこと。ダンマの重要な部分を省略して本意を外さないこと。知ってい…

身体を動かす時に、動かそうとする意志と、動かす瞬間の意欲と、身体の内外を駆け巡る接触感を正確に分別しながら観察することは、正念を育てるよい練習になります。特に階段を昇る時、重いものを持ち上げる時など、体内の様々な筋肉の緊張と弛緩を生ずる運…

森の奥深く平安な静寂の中で清らかな日々を送る仏弟子達。日に一回の食事を摂り、この上なく爽やかに微笑んで禅定に励みます。彼らに過去への悔恨はなく、未来への期待もありません。LobhaやDosaで心を疲弊させる事はありません。心の対象は常に今この瞬間。…

気持ちのよい瞑想をしたいなら、自分のまわりの時間と空気が普段の日常よりずっとゆっくりたおやかに流れていると想像し、それに合わせるようなつもりでゆったりと息を吐き、そしてひそやかに息を吸っていきましょう。繰り返し訪れる今この瞬間が、あなたを…

お釈迦様は妻に贈り物をあげなさいとお説きになりました。夫婦関係は相互に怒りや嫉妬が生じやすいものです。自分の心に、或いは妻の心に怒りや嫉妬の萌芽が生じたら、贈り物を選ぶようにして下さい。怒りも嫉妬も自然におさまり、妻を喜ばせたい、という思…

見る、聞く、嗅ぐ、味わう、接触を感じる、考える。それが今この瞬間に起こりうるすべてです。一心刹那の間、心は唯一つの所縁を経験し消滅していきます。経験は決して繰り返される事がありません。生きるとは何かそれ以上のものという期待に反し、生きるべ…

四念処法は仏智の高みであるが故に、それに相応するだけの熱い信がなければ五根のバランスが取れずに崩壊します。萎えた信で四念処を取り扱えば御法のすさまじさを知り得ず、四念処を軽視し貴重なご縁を失うのです。四念処は余りに深く、余りに高い。故に思…