2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

一日一回、毎朝か毎夕、慈経を随念しましょう。一行一行、一語一語、心が震える程の感動を実感しつつ、唱えていくのです。虚ろに読んでしまったら、心に染み入るまで、その箇所を何度も繰り返します。そうすれば慈悲の想いは心深く沈殿していき、私達の人生…

どんな小さな事でも「善かれ」と願いつつ、慈愛の光でその人を包みこむような気持ちで、言葉を発し、行いを為しましょう。あなたは苦の終焉の為に、積善を誓願したのです。故にどんな小さな善行でも、あなたの修行成就の一助とならないものはありません。必…

幸福はものや環境や他の人々から、得られるものではなく、自らの行為によって勝ち取るものです。もし誰かを幸せにしたいのなら、慈悲を実践して下さい。自分が幸せになりたいのなら、やはり慈悲を実践して下さい。慈悲を育み相互に理解しあえば、求める幸福…

無常・苦・無我の三相は智の到達点ではなく、仏教が立脚する土壌です。シッダールタ太子は四門出遊により、過去世で看破した三相を思い出し、善なるものを求めて出城する、として知られる、出世間への渇仰心が生じました。三相四十行相の随念は、釈尊のこの…

世界は私達をうんざりさせるに充分ですが、その一員である限り心遣いを忘れず、慈しみの心で接してあげましょう。多少の不公平は、大きな心で見逃してあげて下さい。世界はとても嫉妬深く、無視されると私達を潰しにかかります。世界は執着に値しませんが、…

瞑想中、背中の形に注意を払うようにして下さい。尾骨→背骨→脊髄→頭頂まで、できるだけ真っ直ぐ、床から垂直になるよう、姿勢を整えて下さい。背中が決まれば顔や肩の位置も自然に定まります。立禅、歩行禅、或いは椅子に座る瞑想の時も、背中が常に同じ形に…

皮膚の内側で起きている経験を、私達は誰とも共有する事はできません。宇宙空間にポツンと浮かぶ星のように、私達は常に孤独であり、皮膚を突き破る方法はありません。貪って生まれ、苦を生き、死に臨んで暗し。輪廻転生は永遠に続く孤独の旅路です。ニッバ…

修行者にとって何が最も大切なのでしょう?それがあれば成功し、なければ失敗するような不可欠な要素とは何でしょうか?修行者としての矜持です。矜持ある者は自身の業果や煩悩を決して嘆きません。耐えられぬ程の苦に遭遇していても、まるで甘美な法悦の中…

凡夫は我見の根絶により預流に至ります。三宝への甘美なサレンダーに、心理的抵抗を持つ者もいますが、修行者にとってそれは必須であり、最善・最速かつ唯一の道であることを知って下さい。日々よく随念と観想に励み、次第に三宝への従順さと自己放棄を自ら…

現状を否定し、概念で構築した理想へ、自身を強引に誘導せんとする方法は、仏教では決して受け入れられるものではありません。現状をあるがままに受け入れ、保持しつつ、改善すべき点を自然に無理なく改善していく、それが仏教のやり方です。理想ではなく、…

怒りの鉄拳で英雄的に敵を調伏しても、人々はあなたから離れていくでしょう。怒りで破壊はできますが、建設することはできません。怒りの爆発によって何かを為した人の地盤は、いずれ必ず崩れ堕ちてしまうのです。ブッダの法に例外はありません。怒りのエネ…

一回二分の短い瞑想を、あらん限りの真剣さで、完璧に磨き上げて下さい。複雑な構造物を構築するには、まず一つ一つの小さな部品を、精密に作っていかねばなりません。長い期間、丹念に部品作りに没頭し、最後に一気に組み上げていくのです。日々の短い瞑想…

いくら巧みな食レポでも、食べ物の味は伝わりません。砂糖の甘さを知りたければ、なめてみるしかありません。涅槃は語るものではなく、到達すべきものとして、お釈迦様は一切の説明を拒絶されました。大切なのは、実際に体験することです。体験の裏付けなく…

お釈迦様は相手に応じ、仏教で到達できる三種のゴールを説かれました。・現世における幸福・死後天上界に再生して得るさらに大きな幸福・煩悩を根絶して得る永遠の寂静と至福お釈迦様は在家信徒の方々には、天上界の幸福を特に強調されました。私達はその理…

言葉や行為でDosaを示すのは人に瞋毒を盛る行為です。相手の心は猛毒で汚染され、あなたは重篤な不善行を形成してしまいます。怒りや嫉妬をぶつけたり、不安や悲しみ、恐怖、悲観的展望、自信の無さを、理解してもらおうとしてはなりません。人には善意、元…

発勁(はっけい)という武術では、身体の力を全て抜くことで、最大の力を生み出します。赤ちゃんは無防備で受身であるが故に、得られる最大の防護を得ています。仏教修行ではダンマへの受動性と完全な手放しが、新たな証悟の扉を開く鍵となります。見逃され…

サンガはチームプレイの場です。自分が悟ればよいという小乗的発想では、修行は成就しません。むろん仲が良いだけでは駄目ですが、唯我独尊では善友の支援が得られず、大きな成長は望めません。互いに家族のように全力で助け合いつつ、自ら最高の力が出せる…

苦は業果に対する煩悩の誤判断により生じます。煩悩は我見で増幅され、意識的、無意識的に、苦は外因で生ずると見、我が心をその刃で深くえぐります。苦の因は外にはありません。あなたの煩悩が自らを傷つけている事、あなたの成長を破壊せんとしている事に…

「それ」を証悟する時、心は完全に静止し、もはや欲界の現象を掴える事ができません。ダンマは漆黒の中の眩い閃光となって、あなたを導きます。完全な受身となった意識は、熱い信と鋭い慧と熱狂と明確不忘と、禅定の濃密な空気に充たされます。そして突然「…

瞑想力は如何に早く正法に信を確立し、聖師のもとで修行に専心できるかにかかっています。自己流の瞑想が長ければ長いほど、正法を学び直す純真な心が失われ、修正に時間がかかります。初心の求道者の中にも、すぐに正法に縁づく人、縁づかない人がいて、各…

医は仁術といわれます。仁とは一切衆生への無条件の慈愛です。良い人だろうと、悪い人だろうと、味方だろうと、敵だろうと、医療費が払えぬ貧しい人だろうと、完治すれば自分を攻撃しうる人だろうと、そこに患者がいる限り全力で治す、それが医の心です。私…

「上級者は必ずしも基本通りにはやらない」これは道を究めようとする者にとって、危険な悪魔の囁きです。どんな通達者でも、いや通達者であればある程、忠実に基本に従います。ダンマ、暗記事項、瞑想法、伝授された通りに厳格に反復する事によって初めて、…

外的現象を掴めば苦しみが生じます。しかしひとは掴んでいるものを握りしめつつ、仏教の恩恵を得たいものです。どうすればよいか?思考を止めて徹底的な善行を実践するのがよいでしょう。徒党を組み、権威を頼み、先入見で八正道を曲解する等、自我を肥大化…

死が抽象的な概念から現実の恐怖に変わると、私達は逃れられない足のすくむような苦を感じます。そうなるともはや、自分が体験していないダンマで、心を救う事はできません。人生で仏法僧に奉仕してきた人は幸いです。死床で三宝を思い、その清浄な喜びに浸…

神経で感じる肉体的痛みと、それによって心に生ずる不快感を、注意深く観察しましょう。二つはまったく異なる発生源を持つ、別種の苦であることを理解し、別々に感受し認識できるよう、洞察を続けて下さい。身苦と心苦をバラバラに感じることから、より耐え…

未来があなたを否定しようとしたら、自分に対して断固「Yes!」と宣言して下さい。「おまえにはそれはできない!おまえは単なる~に過ぎない!」という悪魔の囁きに対しては両手で耳を塞ぎ、「私はできる!私はやる!絶対に成功する!」と叫び続けて下さい。…

あなたは勇気ある仏教修行者です。苦の感受を大いなるチャンスと捉えて下さい。もちろん苦を感じているのはあなたではなく、あなたの心に生じた煩悩に他なりません。そこに克服すべき煩悩があり、随念すべきシコリがあるのです。解決すべき問題が、ピンポイ…

富める者も、貧しき者も、健やかなる者も、病める者も、老いも、若きも、男性も、女性も、尊厳と慈愛をもって思考し、尊厳と慈愛をもって行動し、尊厳と慈愛をもって語るよう、常に心がけましょう。そうすれば少なくとも、四悪趣に堕ちるような不善業を、形…

人にお願いされて何かをやる時、「やってあげている」という思いが微塵でもあったら、人の心は動きません。心からの感謝も得られません。お願いされることは、機会を与えてもらうことに他なりません。「是非させて下さい!」と、真心で人に尽くして初めて、…

仏教修行の各階梯には、行苦に対する癒しが用意されています。禅定を得る前の修行者の場合は、菩提心の甘美な至福が行苦に対する癒しです。止行修行者の為には禅定の至福、観行修行者の為には刹那定の至福、四沙門果の為には涅槃定の至福が用意されています…