どんな人でも社会の中で生きている限り、
両肩に食い込むような重荷を、
我が身で請け負いつつ歩いています。
そこから逃げ出すことは出来ません。
故に私たち仏弟子は、
人の重荷を少しでも分かち合えるよう、
自らの荷物を最小にし、
心を慈愛の法悦で満たしつつ、
友に手を差し伸べていくのです。

大きな内的目標を達成するためには、
精進(Vīriya)を最大限に活かす必要があります。
信と勝解の確立によって善精進が活性化すると、
私達の行動パターンは大きく変化します。
目標の実現に必要な思考だけが生起し、
前進を阻む思考や疑念はまったく生起しなくなるのです。

静寂のすすめ。
清らかな静寂の中をゆったりと空気が流れ、
甘露の芳香を漂わせながら、
濃厚なネクターのように
修行者を包んでいきます。
聖なる沈黙が醸し出す佇まいは濃密で力強く、
彼の心は清められ、高められ、
ついにはそこに放棄を見出すことができるでしょう。

過去の不善業の結果として不善な業果が結実すると、
それを受け入れる事への不快感から、
怒りが連続して無数の刹那、生じます。
その狭間に時々「私自身」に対する執着が、
生起消滅している事実に気づいてください。
私達はこの謬見により自らの怒りを正統化させているのです。
断固拒絶しましょう。

どれだけ多くの経典を読み、アビダンマを学び、
注釈書を比較研究しても、
それだけでは単に薬の効能書きを読んでいるに過ぎません。
薬の処方と効能を幾ら憶えても、
それだけでは病の苦しみから解放されないのと同様、
お釈迦様の教えを日々正しく実践しなければ、
苦の止滅に至ることはありません。

六欲天の境界では、
価値の流通は金銭ではなく、
福徳によって為されます。
無量の福徳を持つ天神の元には、
富や名誉が自然に集まってきますが、
福徳薄き天神は衣食住にも事欠く状態に陥ります。
この世で至心に善行の花飾りを作り続ける人に祝福あれ!
死後は必ず天界に転生し富貴を得るでしょう。

昨夜の無礙解道の伝法では四聖諦看破について話しました。
どんな時でも決して「今この瞬間」から離れないこと。
今この刹那に生起消滅する現象と常に共にあること。
その現象の中に本源的な無常・苦・無我を見出すこと。
以上は仏道の大前提であり、
苦を滅尽する修行はこれら無しに成立しません。

邪見抑止の随念法。
先ず「私」の外に境界線を引いた
「私」対「私以外の一切」という謬見から、
「私と私の仲間達」の外に境界線を引いた
「私達」対「それ以外の一切」という謬見に進みます。
そして次に徐々に境界線を遠くへ押しやって、
最終的には境界線のない「私達」という見解に到達します。

瞑想修行では、
眼耳鼻舌身意の六門に生起する雑多な対象を抑止し、
専注すべきひとつの対象に心を留めることを、
最初に修習します。
これは、いかなる感覚対象も流入せぬよう、
しっかりと六門をガードすること、
それでも六門に生起してしまったら、
対象から瞬時に心を離すことを意味します。

内的静寂の中で瞑目し、
入出息に専注を続けると、
現前に明るい光を見ることがあります。
これは眼識で見る光ではなく、
禅定に近づいた心が自然に生成する内的光を、
意門が知覚しているのです。
心が近行定に近づいている事を示すよいサインではありますが、
決してこの光に囚われてはいけません。

娑婆世界で巡り会う一切の人や物、地位や名誉には、
無常・行苦・無我・不浄という毒針が無数に生えています。
摑もうとすれば、ハリネズミのようになって、
確実に私達に危害を加えます。
身の安全と心の平安を維持する為には、
対象を貪ることなく、
一定の距離を保って接する必要があるのです。

切り捨てるものは切り捨て、受け入れるものは受け入れ、
客観性を保ち、最終ゴールを見据え、
果敢に前進を続けて下さい。
どのような苦境にあろうと、
それだけで心は晴れやかになり、
希望と勇気がふつふつと湧き上がるでしょう。
三宝はいつもあなたと共にあり、
必ずあなたを加護して下さいます。

心をざわつかせる刺激的感覚対象から離れ、
ひとり静かに座って内的平安を見出しましょう。
粗雑な感情や思考が一時的に凪いでいるだけでなく、
貪りや慢心、怒り、嫉妬等の煩悩が専注によって抑止され、
心の表面に一切浮かび上がってこない至福の状態、
それこそ私達が探し求めている内的平安です。

正見の佇まいを簡単に身につける方法をご紹介しましょう。
身の周りの一切の物を、
それが劣化し破損していく様子を想像しつつ使って下さい。
大切に、しかし自然な破損を受け入れながら使うのです。
次に周りの人々についても同様の観想をし、
最後に自分自身についても同じ観想で随念していきます。

「生起消滅する一切の現象は無常であり苦であり無我である」
律経論の三蔵はこの至高のダンマによって貫かれています。
その中のどの一句にも、
生起消滅の刹那性と三相の無我性が、
霊妙に香り立っています。
故に私は三蔵を学ぶ時、
心に縁起と三相を深く随念してから、
手に取るようにしています。