他人に向つて自分の戒律や修行を言いふらす人は、
聖なる真理に至っていない人であると、
真理を証悟した人々は語ります。
安止に住している修行者は直弟子以外に対し、
「私はこうしている」とか、
「あなたはこうすべきである」と言う事はありません。
戒律も修行も相互監視ではなく聖黙と自律です。

想い描いた理想の自分や生活と、
現在を比較して落ち込んでいませんか?
夢や理想は単なる概念です。
自分を奮い立たせるカンフル剤として
使える時に使えばいいのです。
役に立たないのなら、
囚われず捨て去ってしまいましょう。
今この瞬間から最善のものを紡ぎ出すこと、
それだけを考えて下さい。

無自性は、生起消滅する一切の名色に
本源的に内在しています。
楽しい事も、辛い事も、一瞬一瞬過ぎ去っていき、
色彩のない枯草のような記憶になっていきます。
そこに自性はありません。
一つの例外もなくすべての現象にこの理法を観て、
輪廻の生存の本質的苦を
正しく随念しなくてはなりません。

仏陀の教えは漆黒の夜の雲間に
一瞬煌めく明星のように、
ほんの一刹那、世界に現れ、
すぐに消えてしまいます。
しかも大部分の人々は、
見上げることすらしないのです。
地上にダンマが存在している時間は実に短く、
それにアクセスできる人々はさらに稀です。
仏教との出会いを大切にして下さい。

「私ならできる」
そう自分を信じるのではありません。
ゴールを信じ、そこに至る道を信じ、
自らの五取蘊を制御して、
その道を粛々と歩ませていくのです。
お釈迦様はすべての善なる人々の為に、
救済をお説きになりました。
修行成就は個人の能力ではなく、
三宝を信じる力によって決まるのです。

蓮池に囲まれた山頂のクティまで
獣道を登ること30分。
毎日午後3時半から4時まで師との独参。
かけがえなき寂滅のダンマを経験する。
なんという清らかさ!なんという至福!
あの現実離れした半年間で私が掴んだものを
篤信の修行者に手渡すのが私の使命です。
瞑想もアビダンマもそこに至る筏です。

四聖諦は謬見の故に
十二縁起として表象します。
十二縁起が止まれば苦は消滅します。
十二縁起を止める唯一の道は、
四聖諦の正見です。
四聖諦の正見は戒定慧の三学に依ります。
戒定慧を開けば八支聖道となり、
八支聖道を開けば三十七菩提分法となります。
私はこの真理だけを原始仏教と呼びます。

師弟相伝の指導なしに、
仏教を体得する事はできません。
どれ程の熱意でダンマを学ぶか、
どれだけの独参を受けて法を感得するか。
七清浄は川の流れの如く、
基本に沿って流れていきます。
厳格に菩提分法に従って下さい。
そうすればやがて美しいGocara,
文字不立の瞑想領域ができあがるでしょう。

いかに基礎理論を発展させ、
高い技術革新を達成しても、
いつか確実に陳腐化します。
巨万の富も美貌も栄華も、
一瞬で過ぎ去り、苦の因に変化します。
浮世で競い合っても、絶対を求めても、
結局は苦しいのです。
心を成長させ清らかな喜びに我を失う、
そこに生きる本当の意味を見つけて下さい。

一切の形成された事象は持ちこたえられず、
音を立てて崩れ落ちていきます。
修行の最終段階に至ると
極微なるその実相を如実に観ることができます。
その時あなたは諸行を厭い、涅槃を希求し、
法悦の涙を流しながら、
間近になったあの平安なる境地に向かって
猛烈なスピードで突き進んでいくでしょう。

不善業の果実はまとまって
畳みかけるように結実する傾向があります。

それは暴風雨のようなものですから、
一般的には収まるまで動かず
平静な心で待つのが得策です。
しかし智が熟した修行者は、
不善業果から如何に善心を繰り出すかに挑戦します。
絶望的な憂いから涅槃への希求を紡ぎ出すのです。

瞑想は心を清浄な至福で満たしてくれますが、
もしまだ不善思考で終始するようなら、
あなたは技法を練習しているに過ぎず、
心を調教する段階には至っていません。
その場合、瞑想だけでは修行になりません。
身の周りの事象の中にダンマを見出して随念し、
しみじみと心で味わう事から始めて下さい。

かつてあれほど燃えさかっていた菩提心が、
どうしておき火にもならぬ程に
萎えてしまったのでしょう?
火を長時間燃え上がらせる為には、
燃料と水と風が必要です。
ダンマという燃料、随念という水、
そして三宝という風が必要なのです。
柴燈護摩では水と大ウチワは、
護摩木よりずっと重要です。

自分は仏教修行者である、
と自覚している限り、あなたは大丈夫です。
道を踏み外すことはありません。
では修行者とは?
修行者とは与えられた修行を、
1日も欠かさずやり続けている人です。
行の厳しさと喜びの中に生きている人です。
修行が途絶えれば心は不善に堕ち、
僧院の雑草になり果てます。

社長は倒産の危機となれば、
債権者や銀行、株主に頭を下げ、
立て直しに全力を尽くします。
もし彼が自分の快適な生活を守る事を優先するなら、
誰も彼を助けてはくれません。

無常、行苦、無我の実相を厭い、
涅槃証悟を目指しつつ自我を放棄しないなら、
どうして三宝のご加護が頂けるでしょうか?