2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

例えば武道館の客席が、 あなたの過去世の母親達で埋め尽くされていたら、 舞台の上で、あなたは何を思うでしょう。 あなたは彼女達の慈愛と母乳で、ここまで育てられたのです。 報いても報いきれない恩。 それが仏教徒の持つべき一切有情への想いです。 そ…

有情は胎生、卵生、湿生、化生の何れかで誕生し、 母胎より生まれる胎生と、卵から生まれる卵生には、 必ず母親がいます。 無始から輪廻を続ける私達が今生で出会う選ばれた数千人は、 「かつて一度は母親であった」可能性があります。 事実そのような観想は…

過去世の業の奇跡により、 私達は今生で、選ばれた数千人との出会いを経験します。 彼等との関係は、世俗の八法によって時々刻々、 親和、敵対、無関心の相を変転しますが、 お釈迦様は誰に対しても執着せず、 いつも優しい心で接するよう説かれました。 平…

断ずる事を前提に妄想に気づきを入れる時、 それをサティとは呼びません。 その気づきは犯人を追う捜査官にすぎず、 中捨平等なく、アプリオリに縛られた、 不善心に近住しています。 サティが生起すれば私達は、 妄想に移ろった一瞬前の心の散乱を、 あるが…

やると決めたことを、 毎日、決められた期間、 淡々とやっていく。 一度始めたら、 継続する意味を自問しない。 どんなに苦しくても、時間がなくても、高熱がでても、 人生の最優先事項として、とにかくやる。 行満に行満を重ねてきた修行者だけが知る、 修…

アナパナを修習する際、 私達の心は無意識的に、 以下の四つのどれかに傾いていきます。 息が接触点にあたる感覚と入出息の認識か、 雑念の抑制と専注の持続か、 所縁と心との一体感か、 心を今この瞬間に合わせることか? その微細な相違を識別し、自在を得…

私達は不完全な存在です。 図らずも自らの言動で、 他人の信に水を差してしまう事もあるかもしれません。 しかし他人の信の破壊を決して意図してはいけません。 それは重業であり地獄への道です。 喩えどんなにそれが間違った信仰に思えたとしても、 他人の…

止観は普通、 先ず止行、その完成後に観行という順番で修習していきます。 しかしどちらも三昧の一側面ですから、 最終的には三昧の中で、 止と観が手を取り合って四諦を智見できるよう、 心を開発していくのです。 増上心学が、 四正勤法、四念處法、四禅証…

苦集滅道を正しく看破し、 正見が得られれば、 見と疑は根絶され、修行者は預流果を証悟します。 その段階で無常を常住と見、 無我を実体と見る転倒は、完全に破壊されます。 それでもなお、 苦を常楽と誤る認識は不還果証悟まで、 不浄を浄美と誤る認識は阿…

水は高低差のある水路が与えられれば、 高い方から低い方へ流れていきます。 知識は受け手に礼節と受容力があれば、 伝える側から受け取る側に流れていきます。 故にお釈迦様は礼節と受容性を大切にされました。 私達も礼を尽くし、 スポンジのような受容性…

修行で何か大きな成果が得られる時、 「遂にやった!努力が報われた!」 という喜びを感じることはありません。 それはいつも予期せぬ形で突然、 身に余る僥倖としてやってきます。 その時心は歓喜ではなく、 消え入りたい程の謙虚さに満たされます。 少なく…

足ることを知り、 今持てるものに満足することこそ、 最も高貴な精神の証しであるとお釈迦様はおっしゃいました。 当時の人々の食べ物や粗末な衣服、過酷な生活を思うとき、 幸せはものの豊かさからではなく、 足ることを知り、自ら持てるものに満足する心か…

例えば無礙解道を伝法する時、 私が伝えているのはダンマではなく、 ダンマを知覚する為の御次第です。 大菩提心は一切有情の心中にあり、 心外を探しても見つかりません。 仏教は理解するものではなく、 直接経験するものです。 文字を離れて実践しない限り…

自分らしさや個性を失いたくない、と自我に執着し、 仏教の理想を無条件には受け入れない人達がいます。 彼等のいう個性とは個々の石の表面に堆積した、 土色の模様に他なりません。 煩悩という頑固な汚れを洗い落とせば、 ルビーはより赤く、 エメラルドは…

現象が他の条件に依存して生起する時、 そこには必ず、無常・行苦・無我が見出されます。 すべての現象に本源的に内在する、 これら三つの性質を繰り返し識別し続けることで、 いつか必ず顛倒した見解、すなわち無明を砕破することができます。 かくして煩悩…

先ず最初に、 言葉と行動を制御し、 心を完全に調教することから始めましょう。 何故でしょうか。 そうすることによってはじめて、 現象をあるがままに識別することができるようになるからです。 そうすればいつか、 あらゆる現象が他の条件に依存して生起し…

戯論とは顛倒見 ー 本性が無常なるを常住と見、 本性が苦なるを常楽と見、 本性が無我なるを実体と見、 本性が不浄なるを浄美と見る謬見を基盤に構築された論理をいいます。 私達の文明はその頂きに至るまで戯論で汚染されていますが、 四聖諦を看破し正見を…

瞋と嫉には注意すること。 ほんの一瞬であっても、 悪意ある思考の生起を赦さないこと。 瞋と嫉は蟻の穴ほどの隙間から心に侵入し、 私達が長年蓄積してきた福徳の楼閣を、 一瞬のうちに破壊してしまいます。 一刹那の不如理作意は、 今生を無駄に終わらせて…

条件に依存して生じる現象は、 それ自体の本源的性質によって生起するのではありません。 本源的性質によらず、条件に依存して生起する時、 その現象は「空」と言われます。 二十四縁起の考察で知られるように、 涅槃を除く一切の現象は縁法に依存して生起し…

修行者は、修行を成就していない著者の書いた、 仏教についての概念的言説を読む必要はありません。 お釈迦様によって説かれた、深遠な、出世間の、縁起に基づく、 あなたを涅槃に導く諸経典にだけ耳を傾けて下さい。 そのダンマを心に刻み込み、何度も随念…

クサラの妙。 「善業は船の如し」とナーガセーナはミリンダ王に説きました。 小石は水に沈みますが、 トラック百台分の土砂も貨物船の中では安全です。 土砂は悪業、船は善業。 如法に為された善業は大きな船のように、 犯したすべての悪業共々、私達を救い…

修行の心。 それは正思惟です。 「干からびた川の、水の少ない所にいる魚」のように、 我が物でないものを我が物と執着し動揺してはなりません。 むしろその思いから離れなくてはなりません。 その上で一切有情へ母親のような無条件の慈愛を持つ。 まずはそ…

教えをよく聞くこと。 そしてそれを何度も随念すること。 そのようにしてはじめて、 最初の洞察力が生まれます。 概念上の戯論ではなく、 直接的知覚をともなう、本当の智慧の萌芽です。 謙虚にダンマを聞き、 何度も誠実に随念し、 心に刻みこんで、 文字と…

慈悲が一切の有情へまばゆく放射される時、 豚や鶏や牛を食すことはありません。 蚊やネズミや蛇を駆除したり傷つけることもありません。 しかしその上でお釈迦様は、 無明の海に溺れつつ、必死に善行を意図している人々への深い慈悲心から、 既に調理された…

信は専注を得る必須条件です。 心が散漫に移ろう時は、 毎分四回程度のゆったりした速度で、 仏随念を心で唱えてみてください。 二ミッタを視覚化し、 菩提心を燃え上がらせて、 二時間、或いは四時間、 唱え続けてください。 坐禅、歩行禅、立禅、どの姿勢…

無我とは何か? 無我を理解するには、 無我でないものを知る必要があります。 無我でないものとは何か? 無始の過去から未来永劫、 一切変化することなく存在し続け、 故に生起も消滅もなく、 その存在を他のいかなるものにも依存しない実体をいいます。 そ…

聞きたい内容だけを聞く、 読みたい内容だけを読む、 見たい内容だけを見る。 これは、 何も聞かず、何も読まず、 何も見ないことと同じです。 私たちはこの悪癖を改め、 平等心をもって世界をあるがままに知覚しましょう。 そして、 一切の現象に本源的に内…

誰かから理不尽で不当な扱いを受けたら、 それは正当な業果と知りましょう。 無用に傷口を広げず、 その業果からどう善行を紡ぎ出すか、 それだけを作意しましょう。 相手に仕返しをすれば、 必ず業果のしっぺ返しが返ってきます。 防御は必要ですが 反撃は…

嗚呼! たとえ苦しみに至る道だと解っていても、 どうしても主張が捨てられない・・・。 引っ込みがつかず謝罪の言葉が言えない・・・。 自我を手放せず、摑みながら奈落に落ちていく・・・。 いったい幾世、同じ過ちを繰り返せば気が済むのか! 私たち修行…

心の連続体には始まりも終りもなく、 般涅槃までその流れは止まりません。 今この瞬間の心は一心刹那前の心が直接因となって生起します。 生起消滅する心の連続体を遡れば、 受胎の瞬間の心に、 更には前生の死の瞬間の心に至ります。 この識別を可能にする…