2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

優れた才能は、謙虚さと思いやりがなければ、他人にとって耐え難いものです。もし何かに秀でているのなら、他人を認めなければなりません。あなたの承認と尊重が得られないと、人々はあなたをうらみ嫉妬し、引きずり下ろします。優れた才能は社会に依存しま…

例え善因であれ、喜びが身体を突き抜けると、心は粗雑となり、貪りや慢や謬見が瞬時に心に侵入します。「浮き足だった稚拙な判断」は、たいていこのような状況で起こります。経験を積んだ修行者は、その膨らんだ風船を針で突ついて平常心を速やかに取り戻す…

まず自分で動き始める必要があります。自分で行動せずに人にお願いしたり、意見を述べたり指図をしても、人は動きません。ごちゃごちゃ言わずに先ず動くこと。そうすれば心ある人達は、あなたと一緒に動いてくれるのです。人が動いてくれない経験がある人は…

最高の箱庭を作りたい、私らしい箱庭を作りたい、少なくとも世間並みの箱庭を作りたい、誰でもそんなふうに幸せな人生を計画します。しかしどんな人生であれ例外なく、夢破れ、衰え、減少し、壊れ、悲哀のうちに終わるのです。その無常・苦・無我を実感でき…

五輪競技を見ていて感動するのは、自己の限界を超えていく決意と情熱を目の当たりにした時です。どの国の選手かも、勝利すらも、問題ではありません。自分の限界を超えようとする純粋な姿を見る時、私達は感動するのです。力を尽くした選手同志が相手を賞賛…

たまにテレビを覗いても登場人物のDosaがあまりに酷く、耐えられずに消してしまう事がよくあります。世の中にはわざと胃が痛くなるようなDosaを描き、他人の感情をもてあそんで得意がる脚本家がいるようです。それが人々に及ぼす不善業を考慮していないので…

仕事や家庭環境が厳しく、修行時間がとれないと悲観する必要はありません。修行の時間をひねり出せない時は、仕事や家庭生活そのものを修行にしてしまえばよいのです。諸悪莫作・衆善奉行、他の生命を決して傷つけず、法施・財施・無財の七施に徹していけば…

生前の渇愛の残り香がある限り、どんな死も悲しく哀れです。そこに無常と無我を見、俗世が常住・常楽でないことを改めて知り行苦を感じます。一切の渇愛を厭い離れた聖者の死は至上の祝福です。残された者達は聖者に置き去りにされた孤児の悲しみに涙します…

地位や名誉や財産がひとを作るのではありません。他人の目を気にする余り、時間と財と想念を浪費するのはやめましょう。目指すべきは、自分が心から尊敬できる自分になることです。自分で自分を尊敬できるかを身口意の行為の判断基準とすれば、私達は自然に…

意識は非常な高速で生起消滅を繰り返しています。怒り、不安、害意、貪り、傲慢等、様々な色合いの不善心が次々と生滅し、そこに感謝、慈悲、菩提心等の善心もちりばめられていきます。心理学や唯識ではこの心のひだを縦方向の堆積層と見ますが、実際には時…

あなたはまだ重い荷物を運んでいるのですか?早く荷を下ろし身軽になりましょう。荷物を手放すことは最高の喜びです。手放し、手放し、手放し尽くすのです。どんな軽い荷物であれ、もう二度と背負うのはやめると決意しましょう。身軽になることは楽しく、荷…

心をみ仏の慈悲で満たし、自分がおかれた環境の中で生きていくのは楽しいことです。心を空っぽにしてすべてを委ねましょう。三宝はあなたを加護するでしょう。その祝福は圧倒的です。自らの古い習気に固執し、都合のよい部分だけみ仏の教えの断片を貼りつけ…

自らの成長に役立つタスクをセットにして毎日続けるのが修行の本質です。継続のコツは毎日同じ事を、同じ時間に、同じ場所でやり続けること。不善思考は、修行への疑問や、やらない理由を色々考え出しますが、耳を貸す必要はありません。やると決めたら必ず…

大念處経で説かれる各修行法の所縁をまとめると、五門で感受する感覚対象を含む、色、心、心所の究竟法となります。四念処法により、これら所縁の生起消滅と、各々に本源的に内在する無常性、苦性、無我性を見抜いていくのです。それが本当のVipassanāであり…

「些細な不善であれば悪趣に堕ちないだろう・・」それは全く当てになりません。その不善を覆い隠すに余りある、多くの善を為しているか?その不善を結実させる条件が揃わぬほどの善行の花飾りを作っているか?総てはそこにかかっています。過去ではなく、い…

どんな人も、どんな権勢を以てしても、このサンサーラに影響を及ぼす事はできません。一撃を食らわす事はできません。湖の水面を小枝で叩こうが、棍棒で叩こうが、水面は一時揺らぎ、次第に収束し、静かに元に戻ります。サンサーラに足跡を残そうといくら努…

原因によって生じたものは、条件が変われば変転し、やがて消滅します。生じたものに愛着を持てば、それが消滅する時、動揺が生じ、生じたものを不快に思えば、それが消滅するまで動揺が生じます。一切の無常なるものに動揺が内在します。動揺が完全に静まる…

無明の暗雲に両目を覆われ、苦しみながら、それでも優しく健気に、必死に生きている人々に、私達は何をお伝えできるでしょうか?教学も瞑想も役に立ちません。命をいとおしむ慈悲の心がなければ、何も伝わりません。私達は何よりも先ず、釈尊の慈悲のお心を…

たとえ悪い業果でもあるがままに受け入れて下さい。どんな業果も自らの過去の行為の結果です。直接的な近因は外的なものであってもそれは結果を結ぶ道具に過ぎず、真の原因は自らの過去の不善業です。善不善に関わらず業果はそのまま受け入れ、そこをゼロポ…

些細な事象の中に不平不満の種を見つけるのは、もう止めましょう。心は汚れ、意識は下がり、害意が芽生え、不善業が形成され、あなたを四悪趣に堕とします。怒りと嫉妬はこの世で最も醜い感情で、法集論註にも猛毒化した腐った尿と表現されています。どんな…

大念處経の集諦に説かれている通り、些細な事象の中に貪りの対象を見つける衝動は、ひとの本能に根付いたものです。目先の対象を貪り、生きる苦痛から目を背けても、自身を輪廻の輪に縛りつけるだけです。生活をカラフルに彩ることはできますが、最後は容赦…

私達の両目は無明に覆われていて、理法が全く見えません。今の自分の生き方が良いのか悪いかも分かりません。自分がどこから来て、何故ここに留まっていて、これからどこに至り得るのか?何の確信もなく何も答えられません。緊急を要する最大の問題が、目の…

論蔵は昔から「唯識三年倶舎八年」と揶揄され、難解で無味乾燥な煩瑣哲学とされてきました。相応する具体的現象を見失い、単なる抽象論として教えられてきたので無理もありません。しかしその示す意味を明確に知ればアビダンマほど面白いものはなく、論蔵無…

複雑な幾何の命題も、基本法則の応用だけで証明が可能な様に、アビダンマの基本をしっかり押さえていれば、現象の本質を縦横無尽に分析することができるのです。心、心所、色、心路過程、境界、業、縁起、業処、四聖諦、五蘊十二処十八界は、真の観行を修す…

直観的判断力はどうしても必要です。勘や直観は「神のお告げ」でも「神秘的な内的導き手」でもありません。直観とは智力です。智慧の蓄積から生ずる閃きです。論理的プロセスを経ずに、Vitakkaが答えを掴んでしまうのです。いわば大発見を導く仮説です。仏教…

技術は特異点に向かって進んで行き、智慧はどんどん低下していく、それが偽らざる印象です。人々の暮らしを便利にし、隠れた欲望を引き出して貪らせれば、財も名声も得られるでしょう。しかしそれがもたらす影響を事前に予想し十分に分析しなければ、世界は…

人から求められない自分を、あなたは受け入れられますか?自分が他人の渇愛の対象になりたいと、どれほど欲していますか?観察してみて下さい。自分に自信があれば、権威も賞賛も承認も必要ありません。しかし弱さの故に依存しあい、執着しあい、縛り合えば…

修行は得難きを得る為に命がけで行うのです。きっと何度も失敗するでしょう。お釈迦様でさえ幾度も失敗されました。最後は死を覚悟し成道せねば坐を立たぬと決意し、涅槃を証悟されたのです。私達も命をかけ、何度失敗しても再び立ち上がりましょう!悔し涙…

将来を思いわずらっても良い事は何もありません。今この瞬間に行える最善を尽くせばいいのです。輝く未来はいつもそこから始まります。ですから迷うことなく、今すぐに、善なる心で為すべきを真っ直ぐにやってみましょう。 思いわずらうのはそれからでも遅く…

ビジネスでも、勉強でも、芸術でも、娯楽でも、生活でも、IT化でも、時代の変化を先取りする必要はありません。百年先には全て陳腐化しているし、時代の波に乗ろうとする事自体、既に時代に乗り遅れている証拠です。自分の経験から最善であると確信するもの…