事実とは、

その刹那に直接六門で感受し経験する現象だけをいいます。

そこに思考や論理が加わり、

その現象の名称や意味、正誤・善悪を考察し始めれば、

それは解釈であり、

事実ではありません。

ヴィパッサナー修行の土壌である究竟法は、

事実だけを扱い、

そこに解釈が入り込む余地はありません。