2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

心は無色透明無味無臭の水に喩えられます。善心所が心と共に生起すれば、かぐわしい香りを水に与えてくれます。不善心所が心と共に生起すれば、腐って毒性を持ったヘドロのような汚染水に変えてしまうのです。心は本来、湧き水の如く清浄です。あなたの心も…

利にさとく、智に暗し。生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し。高山の頂上では強風が荒れ狂い、深海は水の重圧が耐え難く、空の果ては誰も見たことがない。ただひとり輪廻する身の、身の毛もよだつ孤独と恐怖。それ…

夢の中では誰もが一流の随念者です。まるで眼の前に在るように見て、瑞々しく音楽を楽しみ、料理を嗅ぎ、味わい、食感を感じます。感情も思考も敏感に生起し、それを客観的に知る心まで生じます。随念では心をこのように使います。心にはその能力があるので…

Acinteyya(不能被思)とは、釈尊が弟子達にお前達の理解の限界を超えているから考えてはならぬと注意された四つです。仏陀の世界、禅定力、業と業果、そしてサンサーラの世界。実はこれらは祝福の源泉でもあります。私達の智慧が熟した時、これら四つから思い…

たとえ15分であっても思考が完全に止まり、心が呼吸や禅相に専注できれば、専注から出た後も心はそこに留まって最低1時間は現実に戻ろうとはしません。心身は鎧をつけたように外界から遮断され、三宝と一体となっています。大慈大悲という最強の防護服は、一…

お釈迦様のお姿を一目見ただけで悟りを得ることも、お釈迦様のお鉢にお米を入れただけで聖者の流れに入ることも、十分にあり得ます。お釈迦様の大慈悲の光が供養者に注がれ、彼のSaddhā(信)が清らかに燃え上がるとき、それはおこり得ます。師と弟子の心が…

お釈迦様は世間的な真理=世俗諦と、究極の真理=真諦の二つを説かれました。この二つを区別せず同様に扱えば、お釈迦様の説かれた深淵なダンマを知ることはできません。言葉という世俗諦に依存することなく真諦を示すことはできず、真諦を正確に了知しなけ…

私達が至心に八正道を歩む理由は、菩提心が生起し心をとろけさせたからです。私達が善なる意志を持ち、善意で語り、善意で行動する時、その根には一切有情への大悲があります。涙あふれる至福の喜びによって発菩提して以来、私達は消え入りたくなるような謙…

あなたと違う考えを持っている人や自分より劣っているとあなたが見做している人に対して、謙虚でいることを学びましょう。特にその方がいない時にその方について発言する時は、その方が目の前にいても語れる事だけを語り、いかなる敵意も慢心も言葉に含めぬ…

何かを成す為に必要となる知識や技術や実戦経験を身につける事、それが学びです。学びは本当に実現したい目標を実現する自由を得る事に他なりません。仏教ではそれをPariyatti(学得)と呼び、その段階を完成した仏弟子は手ぶらで森に入り、難解な修行法を自…

盲亀浮木の喩えで明らかな様に、人間として生まれる事がいかに難しいか、随念して下さい。また、たとえ人間として生まれても、仏縁を得て、仏法を学ぶ機会を得る事がいかに難しいか、随念して下さい。今まさにこの生において輪廻の苦から抜け出さなければ次…

あなたが持っている「私」という視点、それは五取蘊の一部でしょうか?もし「私」が五取蘊なら、毎瞬生起消滅を続ける現象という事になります。五取蘊は一切の名色ですから、「私」が五取蘊以外の何かなら名でも色でもないもの、即ち涅槃か概念となり、故に…

霊性を高める道に入ったら最高の高みを目指していきましょう。自分はこの程度、と思うその思考に煩悩が入り込んでいます。霊的な道を棄てると外的にも内的にも苦しむでしょう。あなたのアスピレーションは決してあなたを許しません。修行で得た精妙な感覚は…

エゴを抑えるには善心の生起が必要です。Jhānaが完成していれば禅定で力強く安定した善心が得られますが、そうでないなら別の方法を試しましょう。あふれる愛で三宝を思い、一体となり、涅槃へのひたむきな渇仰心で涙するのです。そうすれば心が浄められるあ…

自らが信ずる論を口にする時は、自我を決して出さぬよう気をつけて、一手間かけて控えめに語って下さい。相手の意見があなたと違うからといって、二人の決裂を意味するわけではありません。麗しい人間関係は同一意見を持つ事ではなく、お互いの意見を各々寛…

善意とは善き人々に生まれながらに備わっている性質です。善意に理由はありません。一切のものに善意を持つのです。人の善意を悪用する人に対しても悪意を持ちません。疑いを持つより騙されたほうがずっとよい事を知っているのです。善意の人に善を為す事を…

私達の五取蘊の連続体は刹那的生滅の流れであり、業の異熟と無明漏に依存して変化流転する現象です。自性として存在する絶対的安定は涅槃と呼ばれます。そこでは生じていない状態から生起することも、消滅した状態へ消滅することもなく、ある状態から別の状…

サンダルウッド(白檀)の木片を土中に放置すると、外側が腐って酷い腐臭を放ちます。しかしよく洗って擦り石で擦ると、あの素晴らしい香りが生まれるのです。世俗の穢れの中に有りながらも、自らを浄め、Bhāvanā(修行)で鍛えあげる意義を忘れないよう、私…

アナパナでは心が呼吸を離れ思考している事に気づく度に、意識を呼吸に戻して行きます。それと同じことを日常でも行ってみましょう。心が思考し、所縁から所縁へと移ろいゆくのを気づく度に、意識をその時の呼吸に移してしまうのです。あなたの一日は、仏の…

歩きながら「歩いている」と認識するだけでは、Satiが働いているとはいえません。その程度のことは不善心でも可能です。Satiを実際に働かせるには、最低でも「歩いている」と認識している心を認識しなくてはなりません。できればさらにその心を認識して、非…

絶体絶命のピンチに陥ったとしても安全に抜け出す方法は必ずあるものです。瞑想でもいい、随念でもいい、経典読誦でもいい、とにかく心をKusalaにすること。Kusala Cittaさえ生起すれば、最悪の事態を避ける事ができるのです。不安や恐怖、絶望や怒りは、状…

八正道をまっすぐ歩んで行くのは大変です。道の両側には至る所にご休憩の看板があり、私達を脇道に誘います。貪りの刺激や怒りの刺激が、善良ではあるが弱い心を簡単に捉えます。愛する家族が待つ家に急いで帰るように、脇目もふらず八正道のゴールを見据え…

どんなに素晴らしい理想であれ、多くの人々を利する改革であれ、それを攻撃と破壊によって達成しようとするのなら、私は決して支持しません。ペンによってであれ剣によってであれ、人々を一切害してはならないのです。改善は自らの貪りを離れ、衆生への慈悲…

エゴを克服するのは不可能だ、それは自分が自分でなくなる事、自分の欲望を全否定する事だと思っていませんか?否!エゴを克服するのはとても簡単です。心にKusala Cittaを生起させればいいのです!そうすればその時あなたにエゴはなく、慈愛と分かち合いが…

真の幸せを探し求めているのですか?あなたは何を得たら幸せになるのですか?仕事ですか?お金ですか?彼女ですか?社会的名声ですか?どれもあなたを幸せにはしてくれません。今すぐ世間的幸せを求めるのをやめて、あなたの心の内奥を探して下さい。そこに…

これは私が住んでいたクティです。(#120)私の前には一法庵の山下良道師が住んでいらしたと伺いました。このクティは明日の日本の仏教に、浅からぬ縁があるのかもしれません。 私は概ねバルコニーにネットをひろげて、外で瞑想していました。ここで夜も昼もな…

クティの中には何もなく、水回りもトイレを流す為の蛇口が一つあるだけでした。暗い電球をつけて扇風機を回せば危うくなる電力で、しかも数日間、停電が続くことも日常茶飯事でした。蚊の大軍や耐えられぬ程の湿気、強烈なカビの匂いの中で、存在すること自…

四念処法、特に集諦の識別を修行していると、観行を中断することができず、瞑想時間が一日20時間にもなってしまいます。私は後夜とよばれる夜中の2時から夜明けにかけての時間が特に好きでした。特に3時から夜明けまでは、自らのāsava(漏)にまで切り込ん…

私がパオ僧院で住まわせていただいたクティには、東西に亘り8メートルほどのチャンカマ・デッキがついていました。うっそうと茂る樹木の助けもあって、正に大自然の中でただひとり、何時間でも思う存分、歩行瞑想を行うことができました。今でも眼を閉じて…

目指すは正見であり、試されているのは正念正智です。あなたの今この瞬間が試されています。いま眼の前にある視覚対象を知覚するや否やあなたの心は刹那的な専注に入りますか?それともその対象の名前や性質や好き嫌いや先入見を思いつつ、心は対象そのもの…