2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

すべての善なるものはSaddhā(信)から生じます。息もできぬ程にアスピレーションが燃え上がっていれば、もう大丈夫。何も心配はいりません。それ以上必要なものは何もありません。智慧も気づきも慈悲も離貪も、すべての善きものは、やがてあなたの元にやっ…

年長者は例外なく永くにがい歳月の中で、数え切れぬ苦の経験に打たれ続けてこられました。蓄積された業苦。そこから絞り出される言葉。経験の裏付けのない若輩の戯論など、太刀打ちできるものではありません。知識や賢さでは知り得ない、世界の本当の姿を、…

本当は沈黙を守るのが最善ですが、第三者について話さねばならぬ場合は、その人が目前にいるつもりで話しましょう。少なくとも話の内容がその人に伝わる事を前提に話すのです。故人についても同様です。それを怠ると信用を落とします。そのように八正道を守…

相互に相容れぬ二極対立がある時、一極を選ぶ事は正しい解決ではありません。もちろん二極を足して二で割るような、安易な方法も通用しません。正しい解決法は、二極を離れ、超越した土壌を見出し、二極が対立せず共存できるような、その新たな土壌に立つこ…

不善思考を説得することは絶対にできない。これは例外なき真理ですから、心に深く刻み込んでください。不善思考は説得ではなく、無視し、さえぎり、離れることによって鎮めるのです。心に不善思考が生起したら、パッと話題を変えて、超音速で不善の土壌を飛…

今やっている事の意味を見失ったら、自分は涅槃への正道を歩いているのだと随念します。今日やるべき瞑想を怠けたくなったら、今まで苦労して積み重ねてきた修行を思うのです。難問に直面したら直近の問題をまず一つ解決する。観想と随念を巧みに使えば、ど…

一切の生命は自分や家族を守る為に、防御本能と攻撃本能を持っています。しかしそれを日常の言葉や行動に見え隠れさせてはいけません。自他の間に線を引き、他を挑発し、蹴散らしてはいけません。剥き出しの本能を、智慧と無条件の慈愛にまで昇華させて初め…

不善思考の制御は容易ではありません。初心の修行者は無明から生じた不善思考を自分の考えとして受容してしまうし、上級者でも時に不善思考の連鎖から脱出できなくなります。その場合は一日何度でも呼吸に専注し、不善思考に、生起する暇を与えないようにし…

周りからどう見えるかを、生きる指標のひとつとしてはいけません。あと数十年であなたは死に、直接あなたを知る人はいなくなり、やがて世界はあなたを完全に忘れてしまうのです。あなたに生きる意味を与え、今この瞬間の生を肯定してくれるのは、菩提を求め…

信じていれば必ず成功します。それは「信じる」というより、「結果を知っている」という感覚です。一方、悩み悲しめば疑いが生じ、その瞬間に一切が本当に崩れてしまいます。信がすごいのは、信じれば必ずそうなることで、それに反論する人は、信の力を信じ…

離貪は断捨離やミニマリズムではありません。後者は物へのこだわりが、所有しない事へのこだわりに変わっただけで、執着の汚臭はそのままそこに留まります。一方、離貪は物ではなく、執着の汚臭から離れることです。離貪の人は断捨離する必要がありません。…

自分の配偶者に変わってもらいたいなら、まず自分が変わればいいのです。子供を変えたいなら、まず両親が変わればいい。変えていく順番を知りましょう。自分→配偶者→子供→友人→社員→社長→地域→社会。自分を変えずにいきなり周りを変えようとしても、絶対に変…

昔、違いのわかる男というCMがありましたが、「違い」を認識する働きが、色受想行識の想です。想は自分の専門分野では実に精密な見分けをしますが、知識のない事はまったく分別できず、黒い箱型の車、等と言ったりします。修行者は時に応じて想を鈍感にし、…

相手に感銘を与える為に、自らの優位性を一瞬でも表情に出せば、相手は確実にそれをキャッチします。人間関係は鏡の如し。あなたを嫌うのも、あなたに惹かれるのも、同じ慢心を持つ人達です。心が清らかな人にアピールしたければ、自分の心を清らかにするこ…

お釈迦様に心を向けて、日々、当たり前のことを当たり前にやることに、喜びを見出しましょう。あるがままのあなたに、今その場所で、幸せになって欲しいのです。今のあなたから、あなたでない何かになる必要などありません。心が清らかな喜びに満ちれば、幸…

肉体強化は必須です。この肉体に芯はなく、永く持ちこたえられず、やがて朽ち果ててしまう存在ですが、肉体なしに心が生ずることはありません。肉体は寺院。心は三宝をまつる内陣。今わたしの中で、相互に依存しあっています。健全な心が生起するには、健康…

お釈迦様の教えの真髄は、悪い事をせず善い事を実践し、心を清めることです。誤解を恐れずに言えば、戒を守ることではなく、清く正しく善を実践することにこそ、仏教の本懐があるのです。戒について重箱の隅を突くのではなく、清く正しい善の実践にこそ、持…

Saddhāが燃える時、思考は止まり、思考が生じれば、Saddhāが消滅する事を、ていねいに観察してください。もし弟子が今生で力強いSaddhāを経験できたら、彼の今回の転生はそれだけで無上の価値あるものとなるでしょう。そんな弟子を一人でも育てれば、師もま…

日本の宗教事情は非常に特殊で、仏教はもはや大乗ですらなく、「先祖供養教」とでも呼ぶべき、独特の形態の民間信仰に変貌しています。伝統寺院は少なくとも追善供養と回向の本義を檀家さんに伝える事を忘れないで下さい。先祖供養まで軽視されてしまうと、…

智慧がいかに信を必要としていることか!信がいかに智慧を必要としていることか!信と智慧は互いにそれ無しには存在し得ぬ程に、相互依存の関係にあります。智慧なき信は愚かですが、信なき智慧は破壊的です。信と智慧、この異なる二つの衝動は、バランスを…

世俗の愛は期待から生じ、所有し所有される欲を、その相とします。神聖な愛はワンネスの体験から生じ、与え、与え、与え、いかなる見返りも期待しないことを、その相とします。神聖な愛は一瞬感受できても、すぐに崩れて汚染されますから、忍耐強く随念を重…

瑞氣集門(ずいきしゅうもん)。めでたい事が起こる霊気が既にあなたの門に集まっている、という意味です。仏教は不思議です。諸々の悪を為さず、諸々の善を為すことによって、自らの心を清めなさい、ただそれだけの教えを実践するだけで、瑞氣集門、大いな…

行動が先です。その後に結果がやってきます。この簡単な道理を、私達はよく忘れてしまうのです。お金を儲けたいなら、まず儲けさせることです。愛されたいなら、まず愛することです。尊敬されたければ、まず相手を尊敬することです。受け取るだけで返礼しな…

あなたは今よりずっと大きな幸せに値します。健康な肉体と長寿に値します。豊かな暮らし、高い人望、深い慈悲と清らかな英知。あなたはそれらすべてに値するのです。心に一点の汚れなく、聖なる至福で心に歓喜の涙が流れ始めれば、もうすぐ一切の善きものが…

イニシエーションは儀式でも秘法の伝授でもありません。それは心に菩提の芽が発芽する事です。清浄な信で心身がツーっと洗浄される事です。それが発菩提の瞬間です。発菩提したら即刻あなたはわき見を止めて、師の言われる通りに修行し、芽生えた萌芽を巨大…

世界は想像している以上に無常です。現在の会社が十年後に存続している確率は6%余り、新規開店のレストランが店をたたむ平均年数は一年半。常住の幻想の上に将来の計画を立てる事が、いかに危険であるかよくわかります。世界は無常です。私達は変化に即応し…

不快な記憶に囚われ過ぎると、一生を棒に振る事になりかねません。許せない人がいたら、許して前に進みましょう。嫌な事は振り払い、二度と決して蒸し返さない。不快な記憶は金庫に入れて封印し、"Trash"と張り紙をしておきましょう。どんな手を使ってでも、…

お経を読む時は、お釈迦様が眼の前で、あなたに直接語りかけてくれていると想像しつつ、その清らかな言葉を味わって下さい。あらん限りの信を前面に打ち出し、疑いが聖なる感動を吹き消さないよう、心を護って下さい。そうすれば智慧の光があなたの心を、隅…

娑婆世界では、許す時さえ心に駆け引きが生じます。相手によって、事情によって、人の目によって、許すか許さないかが決まります。もしあなたが誰であれ、どんなことであれ、無条件に喜びをもって許すことができたなら、その時あなたの心は、この世界ではな…

あなたの心の中で時折ぱっと燃え上がる、アスピレーションの炎。お釈迦様と、お釈迦様の御法と、お釈迦様の聖弟子衆の集いが、今もあなたの心の中で生きている証しです。あなたの中で三宝が息づいているのです。さあ今度はその清らかで暖かい光を、そのまま…