2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

例えば音楽に感動するのと、素晴らしい!と言うのは別のことです。感情は言語で表現せず、黙して語らず、が最善です。言葉で何かを表現すれば、そこから思考が始まります。心を欲界の対象に向けなければ、言語作用は起きません。言語作用が起きなければ、戯…

瞑想する時は、過去の楽しい記憶、辛い記憶から離れ、自由になって下さい。未来への期待や不安からも自由になって下さい。一切の過去と未来から自由になって、今この瞬間をありのままに観察するのです。いかなる先入見も、いかなる前提もない自由な心で、今…

世俗的人間関係は概ね期待と依存に基づいています。それを忘れてはなりません。他人への依存は経済的・心理的期待が土台です。そこから不安や心配、恐怖が生じ、独占欲が生じ、摩擦や誤解が生じ、疑心暗鬼や失望が生じます。期待や依存ではなく慈愛に基づい…

仏陀も辟支仏も仏弟子も、信と大慈悲心と、分かちがたき智慧を因として生まれます。信と大慈悲心こそ涅槃の種子であり、生育する為の太陽と水であり、不死なる実りと言われます。さざめく水面に映る月の様にはかない無我の存在である有情を、大慈悲心の光で…

学びに終わりはなく、精進に終わりはありません。Asekha(無学、もはや学ぶ事無し)の境界は阿羅漢のもので、預流、一来、不還はまだSekha(有学、学ぶ事有り)と呼ばれるのです。既に熟年に達したから学びは終わったと勘違いしてはいけません。私と共に老骨に鞭…

あなたが幸せになるのに誰かを必要としているなら、あなたはその人に執着し、彼の変化に怒りや不安を覚えるでしょう。あなたは彼を愛しているのではなく、あなた自身を愛しているのです。あなたが自らの心を深く理解した時、彼の心も理解できるでしょう。そ…

修行が今生でどこまで進むか、自分で予想する事はできません。真摯な心で精進すれば、自ら想定しているよりずっと遠くに達する事が出来ますし、逆に油断すれば、思わぬ所で足をすくわれます。時間軸にそった人生計画ではなく、燃え上がる菩提心をもって瞬間…

もしも誰かの言葉によってストレスを感じた時は、しばし呼吸に全意識を向け、「今この瞬間」と一体になり、心に平安を取り戻してください。そして慈愛をもって、相手の言葉に耳を傾けましょう。あなたが彼を傷つけるつもりがないことが伝われば、善き解決が…

入息と出息は、そこに流れる空気、呼吸器全体の筋肉の動き、肺のガス交換、流れる血液まで含めて、すべて心生色(Cittaja-rūpa)で作られています。故に心が瞑想の対象に専注すればするほど呼吸はどんどん静まっていき、心が禅定の入り口に達する頃には呼吸…

程度の差こそあれ、どんな人のどんな人生も悲劇であることを忘れてはなりません。どんな有情の死も悲しいものです。大いなる権勢を誇っても、物語のような幸せの極みを味わっても、その最後は無常です。ただ涅槃に至る道だけが祝福されるべき生であり、祝福…

煩悩を押さえ込もうと強引に自己抑制してもうまくいきません。返って更なる煩悩が噴出してしまいます。どうしたらいいでしょうか?最初に、煩悩が生起する原因を理解することです。怒りや嫉妬などのDosa系の煩悩であれば、必ずその裏にLobhaが隠れています。…

今年最初の蚊を見つけました。いつものとおり、透明のプラスチックカップをとまっている蚊にそっとかぶせ、下からCD盤をすべりこませて蚊を捕獲し、「どうか安全であるように」と慈愛の想いを思念しながら、そのまま窓の外に放ちます。もう40年以上続けてい…

修行したくてもできない時もあります。条件が揃わないのです。そんな時は仏・法・僧への思いを決して失わないようにできる事だけをしていきましょう。何年も辛抱強くそのように過ごして菩提心を燃やし続け、やっと条件が揃って、思う存分修行に打ち込んで成…

五根法。信、精進、念、定、慧。修行者はこれら五つの根を陽転させるよう、バランスよく修習せねばなりません。例えばダンマを学んで精進根と慧根を研ぎ澄ませると同時に、彼は精進根には定根を、慧根には信根を相応させて、徹底的に修習するのです。こうし…

計算ずくの奉仕では大きな前進は望めません。鉄の意志と無条件の自己放棄が心奥にストンと受容されている必要があります。無私の奉仕がなぜ必要か?妻が夫を愛するが如く、夫が妻に奉仕するが如く、母が幼子を護るが如く、私心なき奉仕をやり尽くして初めて…

相手に善意を示せば相手の心にも善意が生じます。感謝の喜びを伝えれば喜びと謙虚さが示されるでしょう。互いに相手の善意を待っていても暖かい交流は生まれません。先ず自分から慈愛を伝える勇気を持つこと。気まずい間柄ならなおのこと慈愛を伝える以上に…

精神の道を究めるには、絶対にSaddhā(信)が必要です。心を浄化する想いが必要なのです。信愛で浄化された心は太陽のように一切有情への深い慈しみの想いを放射します。美しき自己犠牲も自然に湧き出てきます。貪ってむしり取るのではなく、慈愛を以て与え尽…

仏法僧の三宝に帰依するとはどういうことでしょうか?お釈迦様を愛すること。息ができぬほどに愛すること。お釈迦様が説かれたダンマに胸をときめかせ感動すること。お釈迦様の崇高さとダンマの偉大さをあなたに伝えてくれる僧伽の聖衆に足繁くまみえ受法し…

善心の生起は善処への再生の因、不善心の生起は悪処への再生の因と明らかに知って、自らの心の状態を瞬間瞬間、深く鋭く観ていくことで、修行者は大いに前進することができます。不善心の生起を恐れ、丁寧に善心を蓄積していけば、いつしかその徳は、涅槃証…

私達自身が苦を根絶しても、他の有情が苦しんでいる限り、どうして解脱を楽しめるでしょうか。他の有情に慈愛をこめて手を差し伸べることでまったき「苦の消滅」が完成するのです。お釈迦様がどれだけの人々の苦を軽減し消滅させたかを、考えてみてください…

生きるすべての瞬間は、過去の業果を感受する心と心底に蓄積された煩悩や福徳からバイアスを受ける心です。在家であろうと出家であろうと、瞬間瞬間に心を専注し続け、各状況に対して最善の反応をしていく事こそ、仏教的生き方です。今この瞬間から心を離さ…

菩提心を燃やして仏道を歩もうとすると大なり小なり、修行の障害となる現象が襲いかかって来ることがあります。そんな時はその障害を最善の思いで解決しつつ、修行を同時に進めて下さい。修行には「深い縁がある障害」がつきものです。誠意ある対応は修行を…

繰り返しの修習で学べることは、私達の想像を大きく超えています。大岩の塊をなでる天女の羽衣。「これでは駄目だ!」と言うことはたやすいけれど、その一劫に亘る反復が大岩を消滅させた時、私達の戯論は沈黙します。Repetition、反復。これこそが私の信条…

思考は予め都合のよい結論を想定しつつ、作意的に論理を組みたて、手に負えなくなっていきます。考えれば考えるほど、真理から遠のいていくのです。その対極にあるのが気づきです。判断せずに観察する能力です。智慧に至る唯一の方法、それは聖黙し、思考を…

Dosaは様々な色調で心に生起しますが、Dosaをたぎらせているあなたを愛する人は、誰もいない事を知らなくてはなりません。悲しみであれ、不安であれ、嫉妬であれ、害意であれ、物惜しみであれ、どんなDosaであれ、怒りの感情を言葉や行動で表した瞬間、人は…

五取蘊の連続体は刹那的に生起消滅を繰り返しています。五取蘊が存在しない訳ではありません。ただ各五取蘊の存在時間は一刹那に過ぎないので、五取蘊を虚であると見るのです。ちょうど浮かんでは消える泡のように、この世で刹那的に生滅する一切の現象は虚…

原始経典を紐解くと、多くの在家修行者が涅槃証悟に至ったことがわかります。その秘密は布薩会への参学です。釈尊が「わが在家弟子達は十年もの間、実に熱心に精進し続けている」と賛嘆されたように、毎月、定期的に法と僧伽に接し、実際に師にまみえる事で…

瞑想中、眼を開けるか、瞑るかという質問を多く受けます。答えは修習中の瞑想法によります。修行者は色彩所縁を持つ七種のKasiṇaと十種の不浄観の導入部において眼を開けて始めることが可能です。残りの瞑想法は眼を閉じて修習します。閉じる場合、眼を閉じ…

心のシャッターを閉めて外界とのコネクションを切って鼻先に意識を置いて出息と入息を楽しみましょう。息を吸うと喜びが増大し、息を吐くと平安が増大します。「ああ、気持ちいい!」そう感じながら出入息を楽しみましょう。思考は止まり、身体は精妙になり…

怒りを爆発させず抑制することが、どれほど社会に幸せをもたらすか、計り知れません。日々の生活のなかで、善行を行うチャンスがないとしても、心に感じた怒りを抑制して害意にまで増大させず、優しい言葉と穏やかな行為を保つなら、あなたは社会に対して、…