2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

今生の修行目標は何ですか?禅定を得る在家修行者?小須陀洹に至る在家修行者?預流果を証悟する在家修行者?傳修院僧院の出家比丘?傳修院法脈を相承する次期僧院長?どんな夢でも実現可能です。明確な目標を持ち、瑞々しくセルフ・イメージを観想し、目標…

高貴な精神の血統に生まれた者は、時に一切の妥協を排するが故に、あえて厳しい道を選択します。決して愚痴を口にすることはありません。選び取った苦難は彼にとって、Khantiであり、矜持であり、尊厳ある喜びです。故に彼は、艱難辛苦に遭遇しながら、歓喜…

当り前のことに感謝する心を持つ人になりましょう。例えば蛇口をひねればいつでも安全な水がでてきます。その実現のために、いったいどれだけの人達の善意が、情熱が、努力があったのでしょう?その方々の笑い顔を想像してみてください。それだけで善なる思…

いくら努力しても、なかなか成功に至りませんか?目標を貪ってはいませんか?先ず小さな目標を立て、小さな結果を出して下さい。その積み重ねの先に成功があります。大きすぎる目標に向かって、結果の出ない努力をいくら続けても、その先に成功はありません…

あなた自身が信じていなければ、誰があなたを信じるでしょう?あなたが強く自分の未来を信じれば、周りの人達もあなたの未来を信じます。可能性があるから、信じられるのではありません。強く信じるから、可能性がでてくるのです。「私はできる!」まず強く…

仏教修行は徳で前進するものです。瞑想だけをいくらやり続けても、何も達成することはできません。それでは順番が違うのです。身施、財施、法施を徹底的に行い、力の限りダンマを学び、随念し、少しずつ法の器を作り上げていく。その土台ができて初めて、徳…

どんな仕事であれ、善なる誠で行うことができるなら、あなたの真心に心から感謝してくれる人が一人でもいるのなら、あなたの仕事はとても価値ある最高の仕事です。仕事に貴賤はありません。日々、和顔施・和語施を旨とし、正思惟の心で身口意の三業清浄を、…

未熟な心に善が入れば不善が出て、不善が入れば不善が出ます。悟った心に善が入れば善が出て、不善が入っても善が出ます。修行の心に善が入れば善が出て、不善が入れば不善が出ます。故に僧院では互いに善を捧げ、不善を投げつけてはいけません。不善を受け…

今まで順調に修行してきたのに、不測の事態で突然、修行継続が困難になる事があります。その時は菩提心と過去の自分の努力に語りかけて下さい。一時的なペースダウンも止むなし、と言っていますか?それとも、辛いだろうがペースを落とすな!と鼓舞してくれ…

煩悩が心を汚染し、現象を如法に観る眼が覆われると、心の視野は極度に狭まり、視力も衰えて一切が近視眼的になってしまいます。正しきを正しきと知ることも、誤りを誤りと知ることもできません。素直さ、謙虚さ、誠実さで突破して下さい。心にそれらが生起…

私は何度も見てきました。弟子の菩提心が師の大慈悲と感応道交するような場において、いつも知識で他を圧倒する弟子が師より一切顧みられず、謙虚に菩提心を育んできた目立たぬ人が、師より感極まる祝福を受ける様子を。故に私は「無常件の信」を軽視する人…

今生の誕生から臨終までを、完璧な人生にしよう、という発想は余りに素朴です。一瞬一瞬生起消滅する心の連続体は、臨終後も別の境涯で流れ続けます。本当に大切なのは、今この瞬間に生起する対象への心の反応です。輪廻転生はその総和であり、私達は正にそ…

過去の行為は取り消せませんが、それがもたらす業果の結実は環境に左右されます。清らかな環境では善果が結実しやすく、不善果は結実しにくくなります。また不善の対象に善心で反応する為、普段から信と智慧と誓願と如理作意と定で心を防護しているなら、あ…

あなたの声が届くのを待ち望んでいる人達がいます。何もしないで切り捨てますか?人と出会う門を閉ざせば楽になります。でもその場合、どうやって人を助けるのですか?自分が解脱する為には、人を助ける以外ありません。それ無しで済ませる妙案でも見つけた…

「継続は力なり」これは二十四縁起でいう修習縁で、昨日の学びと経験の上に、今日の反復を積み重ね、今日の学びと経験の上に、明日の反復を重ねていくことです。時代や環境から乖離することなく、時の変化に敏感に反応しながら、伝統を積み重ねることにより…

もしあなたが瞑想のエキスパートになりたいのなら、数えきれぬ程のトライ&エラーを行う為の時間を、あなた自身に与えて下さい。とにかくたくさん失敗をすることです。たくさん原因追及することです。そうすれば、少しずつ上達していきます。失敗を恐れてい…

もし誰かに攻撃さたとしても、暴力は無論のこと、言葉による反撃もしてはなりません。合法的に相手の人生を破壊するような、卑劣な反撃もしてはなりません。ダンマが許容するのは攻撃を思いとどまらせる為の威嚇だけです。賢者は決して敵を追い詰めず、尊厳…

私達は身の回りの一切に対して、膨大な渇愛を生起させ、それらは我見と結びついて、強固な執着に育っていきます。ところが自らの過去の不善業の故に、世のほとんどの事象は、私達の期待に添うものとはならず、結果的に私達の生存は、苦に満ちたものとなるの…

自分は昔、米国に一年間住んでいたので、日常会話程度なら困らないと、英会話の先生に強調したがる人がいます。他人より先生のレベルに近いのだと知って欲しいのです。この手の慢心は双方にとって実に不幸です。先生と自分との高低差を認めぬことで、自ら知…

渇愛に翻弄された私達は、牛の排泄物に群がる銀蠅のようなもの。我を忘れて狂喜乱舞し、貪りに酔いしれるも、智慧が目覚めればそのおぞましさに卒倒するでしょう。いくら先延ばししたところで、いつかは無明を根絶せねばなりません。早いに超したことはあり…

しばし戯論を脇に置いて、無心に瞑想してみましょう。ありとあらゆる言い訳や恨み言が、みな色あせてわら草のようになっていき、美しく清らかな思いがわき上がってきます。静かに瞑目し思考を止めれば、今のあなたにとって一番善いものが表象します。偉大な…

この歳になって、もう徹夜をする体力は無いと諦観していましたが、四ヶ月程前から週二回の徹夜が当たり前になりました。伝法の内容を決め、講義を一本撮影し編集すると、ちょうど一晩の徹夜になります。ダンマを学ぶ方々の真摯な菩提心を思えば、睡魔や疲労…

家族、友人、同僚と麗しい関係を構築したいなら、あなたと共にいることで、その方が最高の自己肯定感を感じられようにしてあげて下さい。とにかく褒めてあげる。過度の期待を押しつけない。その方の性格・人格を批判したり、プライベートを軽視しない。これ…

ダンマの視点からビジネスをみれば、いかにより多くの利益を出すか、という方向に進めば必ず失敗し、いかによりよいものを、より安く供給できるかを追及すれば、利益は自然についてくる事が分かります。やり繰りからくる苦痛で目前の利益に走らぬよう、経営…

善因楽果、悪因苦果の理法は、例外なきダンマです。他人の害意に苦しみ、不幸になった人も、結局は過去に自分が蒔いた種を、今刈り取っているに過ぎません。自分を捕らえた刑事を恨む、愚かな泥棒になってはいけません。業の法則を随念すれば、自らの不幸も…

人から受けた恩を決して忘れず、その恩に感謝し、報いようと努力する人は、富貴円満の人となり、死後、天界に転生すると言われます。人から受けた恩を忘れ、背き、恩を仇で返す人は、死後、無間地獄に堕ちると言われます。どんな小さなことでも、善意を頂い…

他の人の善き性質や徳に気づいたら、素直に喜びを表し心から称讃して下さい。それを仏教では随喜と呼びます。素直に随喜すれば、やがてその性質や徳を、自分もまた持つことができるようになるのです。それが随喜念です。最高の随喜念である仏法僧の三随念を…

見解をたがえ、異なる道を歩む仏教者であっても、求道に対して真摯で誠実で謙虚な方ならば、私は強い敬意と同志愛を感じます。しかし、・三宝に対してとろけるようなSaddhāを持っていない方・自分が体験していない事を耳学問で書いたり語ったりする方こうい…

身体的苦とは神経で感じる体の痛みです。心的苦とは物事が望むようにならず、受け入れがたい時、心で感じる苦しみです。行苦とは輪廻の生存そのものに対する、嫌悪・厭忌・嘔吐です。人は行苦を智慧で看破し、無常と苦の奈落に足がすくみ、無我という実相に…

素直に謝る -素直に教えを乞う -困った時は心から支援を懇願する -みんなで力を合わせる -優れた能力のある人に従う -我を出して周囲を不快にさせない -組織を私物化しない -そうすれば自然に成功と繁栄が訪れます。そしてその鍵が謙虚さ、誠実さ、自我の抑…