2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

今年、自分は何歳になったか、 今の時代と自分の若い頃とを比較して、 昔はどうだったか、 当時の自分はどうだったか、 高齢者の方々は楽しそうに話します。 そんな昔話に楽しく相づちを打ちながら、 彼らの善行の記憶を上手に聞き出して下さい。 それこそが…

ひとりひとりに精一杯の善意を届けたい、 心からの誠を尽くしたい、 そう強く思います。 太陽のような微笑みで、 人々の心を明るく照らすことができたら、 どんなにいいでしょう。 縁無き衆生も含めて、 一切の人々を幸せにしたい、 その手放しの誓願があっ…

お釈迦様に三礼して、 Namo~、南無~、等の礼文をお唱えする時、 「我が内的存在のすべて、外的存在のすべてを、 お釈迦様とダンマと聖弟子の集いに捧げ尽くします!」 と観じながら唱えてください。 それだけで素晴らしい祈りの瞑想となり、 信が確立した…

仏教は修行道です。 修行しない仏教は釈尊の仏教ではありません。 文献研究も哲学的思弁も本質には至れません。 今生で行苦を止滅する事、 それが仏教のすべてです。 幸いにも真の解脱道に出逢えたら、 あらん限りの信を打ち出し 修行に食らいついて下さい。…

仏教修行に関して、 類い稀なる優れた才能を持っているのに、 なぜ怒りや疑惑によって、 嫉妬や慢心によって、 せっかくの仏徳を破壊してしまうのですか。 仏縁は百千万劫難遭遇です。 どうか至心に随念し、 瞋・疑・嫉・慢ではなく、 何よりも美しい、 あな…

阿羅漢は、 般涅槃までの残余の生存を、 如何にご覧になっていたでしょうか? お釈迦様は未来を糞尿に喩えられ、 美も希望もない忌むべきものと、 切り捨てられました。 サーリプッタ長老も、 生存することに喜も楽もなく、 給料日を待つ官僚のように、 般涅…

過去や未来が、 行苦に満ちた、 嘔吐をもよおすものと見えていますか。 それを観ているのが瞋ではなく、 慧であることに気づいていますか。 その時どれ程、心が高揚し、 菩提心が燃え上がっているか、 認識していますか。 真の仏教者はそれ程までに、 流転の…

修行が順調に進まない時は、 先ず丁寧に身調べをして、 自分が行苦をなおざりにしていないか、 確認してみて下さい。 身震いするような、 救いなき行苦をしっかり心に焼き付け、 そこから泣き叫ぶような菩提心を喚起させていきましょう。 仏教修行は常にそこ…

出世間に達した方は独特の佇まいをお持ちです。 行苦を看破し、涅槃を証悟し、 生死を厭い離れる者として住する彼の出世間智は、 言葉の端々から隠しようもなく溢れ出てきます。 燃え上がる菩提心、圧倒的な離貪、 海の様に深い寂滅、羽の様に軽やかな軽安が…

ある時友人のユダヤ人長老比丘の嘆きを聞きました。 「ああ、私の身体を巡っている毛細血管の隅々まで、 『神と人との契約』という感覚が染み込んでしまっている!」 私は日本に生まれたことを少し誇りに思いました。 自分の毛細血管の隅々まで、 『無常』の…

伝法者と受法者は、 ブッダサーサナに対し、 ダンマを次世代に伝える 大きな責任があります。 珠玉なるダンマは、 空しく授けることができません。 人を得なければ、 道は伝わらないからです。 「誰か法を受け取れる者はいないのか?」 法を伝える者は、 伝…

師を喜ばせたい一心で師の心に我が心を合わせる時、 師は我が心の中にいます。 「私の考え」が主張を始めると、 我が心は師を見失い、 波間に漂う小舟のような孤独を味わうのです。 つまり「私ではなくあなたです!」と、 師の心の中で我を失っていく道こそ、…

称讃も非難も無明による謬見です。 その対象である「あなた」は、 人の思考が作ったフィクションであり、 あなたの名色の連続体とは何の関係もありません。 称讃されたら無常を随念し、 非難されたら輪廻を厭う想いを募らせて、 一刻も早く、三界に何の痕跡…

輪廻という迷いの河は、 家族への恩愛の故に深くて広いと言われます。 恩愛は、せっかく船出した涅槃に至る船を途中でくつがえし、 私達を迷いの河に再び突き落とします。 正法の命綱を握りしめていない限り、 私達は溺れ、流れにのみ込まれ、 ついには悪趣…

私のダンマの勉強法をご紹介します。先ず単語の意味を調べます。次にテキストを何度も読んで、文章の意味を正確に捉えます。次にスタンザや分類表等、必要な部分を暗記します。次に相・味・起・因に沿って、ダンマを精密に分別します。最後に心ゆくまで随念…

禅定のことなど忘れなさい。 そんなものを修行の目的にしてはなりません。 いくら求めても、 あなたは禅定に到達できません。 摑もうとすれば逃げる。 手放せば向こうからやってくる。 それがダンマです。 ただ淡々と心と呼吸が一つになる瞬間を反復していく…

念が一瞬でも途切れると、 その瞬間に不善思考が侵入してきます。 心は汚染された過去・未来・概念に席巻されてしまいます。 故に一瞬たりとも所縁を離れた心が生起してはなりません。 所縁と一体となった心はとても滑らかです。 「今この瞬間の所縁」が微細…

もし本当に解脱したいのなら、 今生で本当に苦に終止符を打ちたいのなら、 各業処を修行するとき、 あなたのすべてを、 その修行に完全に捧げ尽くすよう決意してください。 もし自分の心に、 たとえ1ミリでも妥協があれば、 その業処によって得るべき智慧を…

自分の修行が進もうが、 停滞しようが、 後戻りしようが、 もうどうでもよいではありませんか。 誰も呼吸を私達から奪いとることはできません。 いつも自分の呼吸と共にいられると知ることは、 最高の祝福です。 その他の世俗的事象に何の意味もありません。…

読む人を小躍りさせるような世俗的な成功哲学の主張に反して、 「成功したい」という願望は、 私達に出世間の成功をもたらしません。 願望ではなく「手放し」によって菩提心は燃え上がります。 成功ではなく「成功の放棄」による専注が、 私達の修行を一歩一…

もしアナパナサティを本当に成功させたいなら、 周りから「入出息狂い」と言われるまで、 入出息の気づきに没頭してください。 寝ても醒めても、狂人のように、 入出息だけを求め続けるのです。 入出息を感受しつつ、 法悦で我を忘れるレベルに至れば、 禅定…

クルマで移動する時は、 先ずブッダのお写真に対し、 自他の安全を祈り、 三宝のご加護をお願いします。 上座系仏教徒であれば、 二十四縁起概説を、 密教系仏教徒であれば、 浄三業・三部・被甲を、 共に修すれば完璧です。 最後はエンジンを切る前に、 感…

あなたの一日に、二分間の静寂を、 十三回ちりばめてください。 お釈迦様に心を合わせ、 静寂の中で五蘊の流れをリセットし、 身心を平安でニュートラルな状態に戻しましょう。 それだけであなたの一日は、 ダンマに祝福されたものとなり、 喜びに満ちた高い…

気づきの瞑想とは、 一刹那の中をゆっくりと流れていく、 純粋な気づきの連続体を感受する事に他なりません。 気づきの所縁は瞬時に消滅しますから、 意門で捉えたり名前を検索する事もしません。 そして時々、 お線香の燃える音や、 お線香の灰がガサっと落…

異熟は心をダンマに向かわせる最高のトリガーにもなりえるし、 人を四悪趣に堕とすレクイエムにもなりえます。 異熟の力は正に両刃の剣です。 善異熟から不善業を生じさせてしまう貪瞋痴を制し、 不善異熟を智慧によって善法に昇華させる、 至妙の境地を究め…

ダンマは本来口述筆記され、 一字一句正確に暗記され、 随念され、 識別される事を前提に語られます。 自ら智見していない修行者は、 正確に記憶したダンマ以外、 人に語るべきではありません。 それを厳格に守らないと、 人から人へと伝わっていく内に、 お…

自分だけは絶対に大丈夫だと思っても、 預流果を証悟して不動の信を得るまで、 突然信が脚下崩壊してしまう危険がいつでもあります。 疑惑はあらゆる方法で心を眩惑しますから、 修行者は信が崩れるどんな些細な兆候も見逃さず、 非仏教的な言動の誘惑を断じ…

誠実なダンマの学びが、 如何に修行者を守るか、 知っておいてください。 学んだ内容をすぐに暗記し、随念し、 心に刻みこむ習慣を持つ修行者は、 如何なる逆境においても、必ずダンマに守られます。 逆に学びを暗記し随念する習慣のない修行者は、 いつか正…

「私は優れている」と、 証明することが秘かな動機である修行は、 必ず失敗します。 正直に自らに問いかけてください。 あなたは本当に行苦を見て震えあがっていますか? 本当に輪廻の生存に嘔吐していますか? 本当に寂滅の平安を恋い焦がれていますか? も…

父母の祝福からこの世に生まれ、 仏教に出会い、 無私無終の輪廻から解脱する、 この得がたい修行にご縁ができました。 父母の恩は、 報いても報いても決して報いきれない、 無量のものです。 だから自らの誕生日には、 精一杯の布施を行い、 その福徳を父母…