2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

本当のアスピレーションは心から自然に噴き上がってきます。そこには如何なる作意も計算もありません。あなたの心は人々に与えたい、分かち合いたいという思いで一杯になり、あなたは聖なる領域にはいるのです。誠実なアスピレーションを放射して下さい!あ…

幼子のようなシンプルなハートを持つ人は、容易に仏教の智慧を得る事ができます。小石のないよく耕された土に蒔かれた種が、すぐに大きく育ち、実を結ぶのと同じです。心が思考で汚染されている限り、あの聖なる大光明は決して訪れません。ダンマの光はシン…

仏教における最高の信仰とは何でしょうか?「私の人生のすべてがお釈迦様へ捧げられた祈りでありますように!お釈迦様への完全な献身となりますように!」息もできぬ程に燃え上がるその思いが一瞬一瞬、継続して生起し続け、そのように陽転した信根が、慧根…

慈愛とは単なる言葉ではありません。それは私達の心に燃え上がるリアリティです。慈愛は私達の思いと言葉と行動の中に、瑞々しく息づいていなければなりません。何を為すのであれ、もしそこに慈愛がなければ、為す意味がありません。助けを必要とする人に手…

お釈迦様が人種や階級や知的レベル、男女や年齢に関わりなく、人々の苦しみを終焉させる為に説法され続けたのは、人々への無条件の慈愛の所以でした。私達もお釈迦様を思う時、慈愛に満ちた御目を想起し、お釈迦様に喜んでいただこう、決して悲しませること…

ダンマを人にお話しする時は以下の五つを必ず守って下さい。ダンマは一歩ずつ、段階を踏んで語って下さい。ダンマは縁起の法の視点から語って下さい。ダンマは慈しみの心で語って下さい。ダンマは報酬を期待せずに語って下さい。ダンマは相手やあなた自身に…

生きる意味を見失い、どちらに進んでいいか分からなくなったら、一度立ち止まり、執着している対象を全部手放して、少しの間自由になりましょう。窓を開けて新鮮な空気を一杯吸い込んで、少し瞑想して下さい。瑞々しい感受性が心に戻ったら、もう一度、最初…

止行であれ観行であれ、所縁に心を専注させるときは、まず眼耳鼻舌身意の六根を鎮め(根律儀戒)、六門に如何なる刺激的感覚対象が飛び込んでこようと、心がそこに移ろって感覚対象を知覚しないように修習しなければなりません。ダンマに対する燃え上がる菩…

Deliverance.Vimuttiの修行とは、サマタ、随念、Vipassanāの高度な熟成を通して、Saṃsāra(輪廻世界)に対するNibbidā(厭悪)を確立し、燃え上がるVirāga(離貪)、即ち輪廻を離れ涅槃に至りたいという強い熱望を確立喚起させ、涅槃証悟に至る出世間心路過程を無…

Contemplation.Vipassanāの修行とは、サマタの修行を完成し、ダンマを深く学び終えた修行者が、自ら観ずることのできる最小単位である名と色を一つ一つ識別し、その生起から消滅までをも識別し、そこに本源的に内在している無我性、無常性、行苦性を、正念正…

Meditation.随念の修行とは、ダンマを深く学んだ修行者が、六門の所縁のすべてを導入して、創造的にそのダンマの佇まいを感受し、そのダンマの味を心で深く味わって、心と言葉と行動において、ダンマにそった実践をする指針とする修行です。そのダンマを随観…

Concentration.Samathaの修行とは、Jhānaの証悟を目指す修行です。禅定修行ともいわれます。この修行の目的は心の調教です。時々刻々あらゆる興味の対象を求めて移ろいゆく心を、意のままにピタッと一つの対象にとどめ、その内面に隠れた本質を看破する、鋭…

クルマやバイクを運転する時、仏教者は以下の四つを厳守して下さい。1. この地上の如何なる有情も 決して傷つけないこと。2. 自らの所有でない如何なる物も 決して傷つけないこと。3. 交通規則を厳格に守ること。4. 運転の前に仏相を念じてご加護を願い、 最…

毎朝、日の出とともに、今日もまた私の心が、汚れの侵入から護られますように!と、Buddha Nimittaの輝きの中で三宝に祈りましょう。毎夕、日没とともに、今宵、そして夢の中にあっても、私の心が、汚れの侵入から護られますように!と、Buddha Nimittaの輝…

お釈迦様の45年にも及ぶ布教の日々を思うとき、そこに飽くことなき熱意を想像せずにはいられません。私達はそこから、至高なる幸せとは何かを学ぶことができます。至高なる幸せとは何か?結果を期待する心を生起させることなしに、今この瞬間に熱中すること…

苦の終焉という大目標をめざして歩んでいくと、俗・非俗の多くの都合が入り乱れて心に侵入してきます。そんな時私達は、優先順位を取り違え、心をどんどん汚していき、やるべき事を見失い、目標達成を諦めてしまうのです。優先順位を見誤らない事、そして三…

先日のDhamma Questionsで、善心の生起を知る方法について質問を受けました。注意しないと瞑想や学習、無償の奉仕中でも、慢心や倦怠、嫉妬や物惜しみが生じます。善心の生起を知る最も容易な方法は、心に謙虚さがあるかをチェックすることです。謙虚さから…

優劣を競い合う必要などありません。そんなゲームをやり続ける人こそ人生の敗北者です。勝つか負けるかの両極を離れ、自らの心のままに生きて下さい。家族や社会の呪縛を解き放ち、あなたが心の奥底で本当に求めているものに、もう一度耳を傾けて下さい。一…

疑いは不善思考から生じ、善なる思考が生起するのを阻み、Saddhāのキャンドルを吹き消します。ダンマをしっかり理解し、疑いが生じる余地を封じて下さい。煩悩は気づかぬうちに心を穢し、秘かに灯した菩提への想いを、消し去ってしまいます。福徳の蓄積で汚…

どんなに福徳多き人生でも、時には暴風雨が吹き荒れます。不善な業果が畳みかけて結実する時は、反撃せずじっと耐え忍びましょう。逆風が吹いている時は無理に前進せず、技を磨き学びを深める事に時間を使いましょう。風が追い風に変わった時、あなたがばく…

時には誰でも修行を続けるのがつらいと思うものです。そんな時、偉大なる目標とは、自ら選び取った苦労の道に他ならないことを思い出しましょう。正しい忍耐で目標を達成した時、あなたは清らかな喜びに打ち震えるでしょう。あなたとお釈迦様の聖なる勝利で…

あなたは気づいていましたか?あなたの心に燃え上がる、そのアスピレーションのきらめきは、お釈迦様のお心そのものだということを。お釈迦様はあなたの中で、永遠に生きておられるのです。息を吸い、息を吐く。その一瞬一瞬のアスピレーションの中に、お釈…

Buddha Manifestation!それは現代のこの地上で、お釈迦様を本当に有名にする、という決意です。当時の直弟子の方々がそうされたように、私達自身がお釈迦様の手足となり、苦しむ人達に救いの手を差し伸べ、道を求める人達に法を伝え、お釈迦様の威光をこの…

目を閉じればピタっと心が呼吸とひとつになり、外界を完全に忘却できるまで、自らの心を調教しましょう。ダンマに対する信とたゆまぬ修習で、それは可能です。そこまでいけばもうすぐ初禅です!目を閉じればいつでもダンマとひとつになれるという確信が、ど…

心の中では三宝に対し、泣いて泣いて泣き叫びなさい。欲しいものが手に入るまで、決して諦めない赤ん坊のように、泣いて泣いて、泣き続けるのです。外的には周りの人々に微笑みを与え続けなさい。慈愛を込めた微笑みを、与え、与え、与え続け、周りの人達み…

もし仏法僧を概念で捉えているなら、心に仏教が育つことはないでしょう。もし仏教を理屈で判断しているなら、甘美なる悟りに達することはできません。真の仏教者は、過去や未来から何も借りずに、今この瞬間を生きています。ひとつひとつの入息と出息の瞬間…

あなたが幸せな人生を送りたいなら、周りの人との相互関係の中に幸せを見出すようにしましょう。どんなにあなたの能力が高くても、相手を力でねじ伏せようとする限り、誰もあなたをあなたが期待するようには受入れてくれません。慢心を捨てて人々を尊重すれ…

例えば山頂に至る道が複数あるように、お釈迦様直説の仏教に至る道は幾つもあるのです。或る人は別の宗教を経て、或る人は独学の末に、或る人は瞑想の高みを目指して、或る人は心とろける甘美な至福を求めて、お釈迦様に至ります。道順はどうあれ、あなたは…

身の周りに見える一切はダンマです。家も、車も、人間関係も、仕事も、野望も、ダンマでないものは一つもありません。賢者はそこからすべてを学びとります。世間八法でよい事も悪い事も起こり、富裕にもなり極貧にもなる欲界に住しつつ、三宝の力で一切を超…

怒りや嫉妬、不安や絶望は、相手への誤った認識から生じます。私達は自らを誤認し、相手のことを誤認し、不要な衝突を生じて苦しみます。どうか相手が直面している困難や苦しみに耳を傾け、彼の思いとひとつになって下さい。彼を少しでも癒やしたいというあ…