2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

刹那の後に刹那が訪れ、その後にまた刹那が生じ、その消滅が次の刹那の因となり・・。そのような認識で生きていけばよいと、お釈迦様以外だれも教えてくれませんでした。過去へ、未来へ思いを馳せるのはもう止めましょう。そこは虚妄であり幻影の世界です。…

命は今日しかありません。それを決して忘れてはなりません。限りある大切な時間なのに、貪瞋痴にかまける事などどうしてできるでしょうか。明日があると思えば、人は今この瞬間を離れて幻の世界に生きてしまいます。眼が覆われ、不善思考が生じ、過去と未来…

これから瞑想を始める方は気持ちのよい短い瞑想を、気が向くままに一日に何度も散りばめていく、というふうにやっていきましょう。ウエイトトレーニングで無理に重い負荷をかければ、筋肉を痛め、やる気も失います。先を急げばゴールに達するのが逆に遅れま…

好ましくない事態が生じた時、やってはならない事が二つあります。1.それに蓋をして顔を背ける。2.怒りや害意を語業や身業で表現する。不快な事態をあなたへの攻撃と捉える限り、あなたに未来はありません。ピンチは前進する絶好のチャンスです。対処法次…

Phileinとは愛すること、Sophiaとは言葉の知識を超えて、ものの本性を看破し、真理を悟り実践していくより高貴な叡智を意味しました。ですからPhilosophia、哲学とは、最高の智慧の希求・実践だったはずです。形而上学の思惟ではなく、東洋の実践者としての…

あなたは善なるものを求めて、智慧持つ人として地上に生まれてきました。その果実として仏の教えに巡り会ったのです。かけがえ無きこの因縁を大切にして下さい。渇愛をさそう目先の欲対象に惑わされず、あなたがこの世にきた時のあのアスピレーションを、あ…

今生で富貴を得るかどうかは、過去世からの業に依る処が大きいので、世俗の八法に説かれるとおり、ただ善法を為して結果にこだわらないのが、法を知る者の心構えです。清貧なる在野の賢者が、死して大光明に包まれて昇天するのを目にし、人は浮世の虚栄に心…

不善なる執着心は、瞑想の修習で経験する様々な「神秘的体験」が大好きです。「またあの感じを味わいたい!」「夢よ、もう一度!」そうやってあなたの瞑想室に土足で入り込み、清浄なたたずまいを台無しにしてしまうのです。瞑想中は心に鍵をかけ、不善心の…

心の対象ではなく、その対象を知覚して反応する心の機微を観察して下さい。心がどう変化していくか、それを観察するのです。もし苦を感じたら、苦を与えている対象ではなく、苦を感受している心を、あるがままに観ていくのです。主人公としてではなく、あく…

心を法相に合わせ、思考を止め、如何なる外界の刹那的現象に対しても、認識したり、名前をつけたり、意味を紐付けしたりしないこと。外的現象はガンジスの水面のあぶくのように、すぐに破裂し消滅します。なぜ外の所縁に刺激を求めるのですか?内なる心の流…

真摯な在家修行者の方々でも、多忙な仕事や日常の雑事に翻弄され、自らの心の成長に割ける時間は、本当に限られています。そんな時、先入見で固定化して貪り、先入見で固定化して嫌悪してきた諸事象を、何のバイアスもなくあるが儘に見直してみましょう。き…

施せし情は人の為ならず 己が心の慰めと知れ我れ人にかけし恵は忘れても 人の恩をば長く忘るな新渡戸稲造の「武士道」の一節です。慈悲は人の為ではなく、我が積徳の為でもない、己が心が善なる至福を楽しめばそれでいいではないか。してあげた事は忘れよ、…

この五取蘊の連続体は無我なのにそこに真我が内在すると見誤ってしまう事と、貪瞋痴に基づく不善心の因となり果となる「私!」という誤った見解は、関連性はあるにせよ、次元がまったく異なるふたつの別の問題です。どちらもその誤りを正しく理解し、適切に…

人生の成功とは何でしょうか?仏教を学び実践して得られる最も甘い果実とは何でしょうか?臨終前の静寂な心に、「一切の生きとし生けるものが幸せでありますように!」との熱い想いが清らかな涙と共に湧き上がってくる。。私はこれ以上の人生を知りません。…

仏教の信は無上であり精妙です。~すれば必ず最後は救われる、という迷妄の信をばっさり切り捨てた上で、今この瞬間に菩提を求める心が燃え上がっているからです。無我を了知した心は凡俗な信仰を駆逐します。その上で世間法を厭い、善なるものを求めて、放…

三蔵のどこを探しても、正見を見つけることはできません。正見は言葉で表現することも、言葉で理解することもできません。ではどこに正見があるのか?あなたが何かを見た時、見ているのはあなたではなく、眼識に随起するVedanāだと、一点の疑問もなく了知し…

心を対象に集中するだけでは、禅定は得られません。入定する為に最も必要なのはSaddhā(信)です。次に福徳です。善なる心で為した善行の蓄積が、大きな推進力となってくれるのです。最後は正念と正智で入定することになりますが、信と徳がなければ、とても…

多くの人々は三宝への信も危うく、仏教の教義も知らない状態で、瞑想に興味を持ち、少しずつ坐り始めます。それでまったく問題ありません。大切なのは心を客観的に見つめ、先入見なしに取り巻く状況をあるがままに認識することです。そうすれば必要な信も教…

習気(じっけ)は恐ろしいものです。過去世で胃癌や胃潰瘍を患った人は、大抵、暴飲暴食し、よく噛まずに早飯食いをする傾向を持って生まれ、その習気の故に再び胃を病むのです。心底に生じる微細な「習気への耽溺を許す我見と慢心」に気づきましょう。悪循…

ダンマの伝法を受けたら、ノート1~2頁程度に要約をまとめて下さい。するとアタマが整理され、重要なポイントや暗記すべき文言が見えてきます。勇気を出して暗記し修習して下さい。スープ鍋をかき回すおたまは、スープの味を知りません。あなたはダンマを味…

あなたを支援してくれる人々の言葉がいつも耳に快いとは限りません。私達に必要な対処法が二つあります。1)慈悲深く親愛なる態度を決して崩さない。2)耳に痛い言葉には改善への鍵が隠されている。 十分に考察せよ。私達は皆不完全ですが、この心構えで世界…

次の三相四十行相講義から、無我相随念の伝法を行います。無常相や苦相の教えは、不完全な形で他宗教にも散見されますが、無我相は仏教を仏教たらしめる最も深遠なダンマであり、仏教徒ですら波羅蜜薄き者には聞法の機会が縁づきません。法を求める方々と私…

私達の多くは修行法を学び、調べ、語り、計画を立てますが、肝心の修習をやりません。仏教は文字による学びではなく実践です。実践によって心を浄めていくのです。一座20分の瞑想にすら心が向かないのなら、どうして仏教徒といえるでしょうか?さあ、あなた…

部下が動いてくれない時、あなたは試されています。部下を集めてネジを巻いても、思う程うまくはいきません。ゴールを示し、そこに至る道を示し、これは実現できるんだ!さあ一緒に頑張ろう!みんなそんなリーダーについて行くのです。北風と太陽は今でも真…

三相四十行相を学ぶ時は、「私はいま無我相経を学んでいるんだ、お釈迦様が開示された無常・苦・無我を随念し、その意味をしみじみと心にしみ込ませているんだ」と理解して下さい。無常・苦・無我の随念で行苦の意味を了知し、自らの生存に潜む行苦を悟って…

移ろい易きは人の縁です。一度でも故意に傷つければ、あなたはその人を失います。表面的にはどうあれ、その人の智慧も慈愛も支援も、もう得ることはできません。故に人を攻撃してはなりません。もし既に誰かを故意に害し顔向けできない状態にあるなら、伏し…

通りの騒音、腰痛、玄関のチャイム、瞑想をしようとすると、ざわついた心がありとあらゆる瞑想の障害を見つけてくるでしょう?世界はあなた自身の鏡です。あなたが世界に対して為した事がそのままあなたに返ってきます。世界に善を為しなさい。そうすればそ…

在家修行者にとって最大の障害は、終日独りでダンマと共に過ごせる機会が、ほぼ得られなくなる、という事です。週に一度、月に三日、年に四週間程度でも、携帯をOFFにし、食と睡眠を最小限に抑え、沈黙行を実践し、俗世の心配を窓の外へ放り投げられれば、出…

Uddhacca(掉舉=じょうこ)とは、一つの対象に集中できず、あちこちと移ろい行く心で、貪りや怒り等の不善心が生ずる土壌となります。この心癖が強い人は、週末を利用し、数日間の断食を行いつつ、聖黙行を試みて下さい。何も食べず誰とも話をしない事で、…

最高を目指して進みながら、未だ現世の隆盛に執着を持つ人々は、「天界への再生」で妥協し、ゴールとします。しかし天界も梵天界も悲しい場所です。ハリウッドの映画界が悲しいのと同じです。無明が薄れ智慧が育てば、次第に人は、そのような虚栄世界に魅力…