2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

毎朝目覚めたら横になったまま、今から始まる一日を三宝に捧げると観想して下さい。今日一日決して三宝を忘れない、何があっても三宝と共にあると、決心して下さい。眠りにつく前、今日起きた事を思い出して下さい。もし三宝を忘れた瞬間があったら、明日は…

業は将来の生存を形成する潜在的確定力を未来に向かって繰り出していきます。善行為を為せば上に三段上がれるよ、不善行為を為せば下に一段堕ちるよ、という永遠に続くゲームであり、ゲーム自体をやめることは許されません。このゲームから抜け出してしまう…

無常をアタマで理解しようとすれば、どうしても不善な思考で論理を積み重ねやすく虚無的な断見に陥ってしまいます。無常をPañña(慧)で実感して下さい。足がすくむような畏怖と同時に輪廻の中で無常の苦を生きている人々へのMettā-karuṇā(無条件の慈悲)と…

無条件の赦しは精神の師に共通した特徴です。しかしそれを得るにはただ一つ条件(!)があります。礼拝し懺悔すること。或いは一通の懺悔の手紙を書くこと。あなたが心のドアを開き勇気を出して一歩踏み出しさえすれば、師は祝福の微笑をたたえ、99歩駆け寄…

無明に覆われた娑婆世界では、一切が蜃気楼であり幻影(Māyā)です。しかし幻影には二種あって、Vijjā-māyā(明幻)出世間の智慧に導いてくれる幻影と、Avijjā-māyā(無明幻)有情を四悪趣に堕とす幻影とがあります。心を込めた聞、献身、離貪、慈悲の実践は…

たとえ5分でも日々の瞑想を真摯に積み重ねていけば、老年に至り、Jarāの残酷な真実を為す術無く受け入れざるを得なくなっても、晩秋の夕陽を見るように、静かに、マインドフルに、自らを見つめることができるでしょう。いつ訪れるとも知れぬ臨終を前に、一体…

言葉や思いや行動に於いて不善業を為しても、その業果の剣はすぐに私達を切り刻まないかもしれません。しかし命を終える頃までには多くの業果の機は熟し、その果実を結んでいくでしょう。業果の結実は避けられません。その業果によりどんな境界に転生するか…

処罰を恐れて規則を守るのではありません。「私は最高の徳行を実践するんだ!」という決意と情熱をたぎらせて自発的に自らを律していくのです。波羅蜜はそのように蓄積されていきます。波羅蜜の蓄積はやがて鋭い分別心を覚醒させるでしょう。鋭い分別心はや…

たとえ目標に到達できなくても、自分の限界を超越できたなら、私達はそのことに大いに満足すべきです。いやむしろ自己超越をこそ、目標に設定すべきです。そうすれば支えてくれたすべての人々に、感謝の想いを心から伝えることができます。感謝は幸せな心に…

発菩提の時、清浄な至聖の祝福にふれ、誰に教わったわけでもないのにどうしていいか分からぬ謙虚さと圧倒的な至福が心に湧き上がってきました。ああ、私はこの為に生まれてきた!そして愛しくも藁草の如き浮世の雑事を早く片付けて至聖の傍にずっといたい、…

あなたを批判し、敵意を示し、害を与えようとしている人は、本当はあなたのことが好きだったのかもしれません。鋭い刃で切り返すのではなく、優しさと慈愛を送り返してみてはどうでしょう?あなたへの敵意の因となった誤った前提が崩れ、あなたを攻撃する理…

マインドフルに生きる技術を身につけると、多くの人々を幸せにすることができます。歩く時も、食べる時も、呼吸をする時も、話す時も、正念を以て生きられれば、喜びと幸せが内と外からやってきてあなたの心身を満たすでしょう。どんな時でも善意で生きられ…

人に接する時はいつも「あなたには幸せでいて欲しい!決して苦しい想いをさせたくありません!」という優しい心で接しましょう。私達はともすると、自分からは何も与えずに、相手から何を得られるかばかりを考えてしまいます。何を与えられるかだけを考えれ…

仏教には三種類のお布施があります。衣食住や財に困窮している方には四資具や財のお布施をさせていただきます。無常・苦・無我を常住・常楽・真我と轉倒して見ている方にはダンマのお布施をさせていただきます。肉体及び精神の苦に苛まれている方には大慈大…

私達が学んでいる三相四十行相の修行は無常・行苦・無我の各相をそれぞれ複数の側面から考察し、分析し、随念し、随観して、三相の実相を看破し、Vipallāsa(轉倒見)を破壊することを目標に修習されます。轉倒見とは無明に他ならず、故に三相四十行相は涅槃…

怒りがこみ上げてきた時はどうしたらいいでしょう?怒りの最初の兆候に気づいたら、すぐに思考を止め、仏相を心に念じて入出息観を始めます。何も考えず、何も語らず、身体的行動も控えて下さい。怒りの心で何かを為せば相手を大いに傷つけるだけでなく、自…

不善な事象にのめり込めば猛毒が心身をかけめぐり功徳の蓄積を焼き尽くします。目をつぶり、耳を覆い、急いでその場から離れて被害を最小限にとどめましょう。どんな時でも平安に満ちた心を保つことが何より大切です。瞑想の座に静かに坐り、心が十分満足す…

艱難辛苦は世俗の八法にすぎません。夜明けの来ない夜はありません。苦労を耐えしのんで頑張り抜けば必ずや夜明けがやってきます。「これすべて我が不善なる業果」と思わないこと!不善思考はそこに運命論的な誤謬を紛れ込ませ、あなたには夜明けが来ないと…

業は業果を未来に向けて繰り出し同時に他の業の結実を助け或いはさまたげながら私達の生存を前に進めていきます。しかし時には未来に向けて放たれた業果が流れ矢の様に将来の五取蘊の連続体を射落とすこともあります。いずれにせよどんな業果も静かに、しか…

他人を助けることは、自分を助ける最善の方法です。誰かが困難に直面しているなら、どうか慈しみの手を差し伸べて下さい。私達は他人の中に自分自身を見るのです。他人の不善ばかり見る人は、自分の中にも同じ不善があり、他人の善き性質を讃えられる人は、…

仏教の智慧とは知識の量や頭の回転の良さではありません。ですから自分には智慧が足りないと自らを卑下する必要はありません。もし目の前にある現象を「私のものではない」と誠実に謙虚に認識し、それが過ぎ去っていく事実を貪りも不快もなく受容できれば、…

Visuddhi(清らかさ)はどうしたら身につくでしょうか?「お釈迦様だったらどうされるだろうか?」をいつも考えて行動すればいいのです。お釈迦様が意図するように意図し、お釈迦様が感じるように感じ、その他の如何なる影響も受け入れないと決める。そうす…

私達の頭に始終浮かんでくる不善思考はまるで水面に指で描いた文字のように現れては消え、消えては現れ、とりとめもなく貴重な時間を無駄にしていきます。それを一生続けるとはなんという想念の浪費か!他の人にとってはどうあれ、ダンマを生きる私達にとっ…

心に慈悲を持てばいつか不死の甘露を味わえるでしょう。心に慈悲を持てない人は、輪廻転生の苦しみから逃れられません。慈悲は雲間から現れる満月のようにあなたを美しく照らします。どうか慈悲の心で一切の有情に接して下さい。どんな時も、どんなことに対…

出世間における成功は、あなたが如何にダンマに誠実であるかどうかにかかっています。時間を軸に一喜一憂せず、空間を軸に一喜一憂せず、信によって浄められた思いが、波のように押し寄せるのを心身で感じたら、ダンマのイカダは荒波を乗り越えて、あなたを…

この世では誰もが不完全です。だからこそ大きく飛躍する余地があるのです。さあ、自信を持って前進して下さい。必ず目標に到達できるでしょう。一つだけ大切な事があります。それは最初の第一歩を踏み出す時から三宝があなたを通して勝利する事を確信し続け…

どんな仕事であれ、誠実な労働を三宝に捧げながら仕事をすれば、心を清らかに保つことができます。「私はお釈迦様の金剛弟子だ!」という誇りを持って、最大の誠意と最深の慈悲でできる最善を尽くすのです。週40時間を超える労働時間を積徳修行に昇華できた…

アナパナサティを行うときは、呼吸に対して如何なる作意もせず、自然のままに入出息することが大切です。しかしもしそれが難しいなら、静かに静かに息を吐き、吐き終わったらすぐに胸腔の力を抜いて無作意で息が自然に体内にはいるようにして下さい。やがて…

ひとの価値は自分に打ち克ち自身の限界を超えていく事にあります。他人に勝つ事ではありません。出自や能力に関わらず自己を超える為に努力する事こそ、真に価値ある生き方です。今日私達が競う相手は、昨日の私達自身に他なりません。一瞬一瞬自らを超えて…

如何なることであろうと、あなたの不善思考に決して判断させてはいけません。どんな決断もさせてはなりません。不善な汚れを振り払い、心ゆくまで瞑想し、意識が本当に高まってきたら、善なる心にあなたのすべてを委ねましょう。燃え上がるアスピレーション…