2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

菩提心に燃える美しい瞳があります。 お釈迦様が法を説かれたのは、 そんな美しい瞳に対してでした。 輝く瞳を持つ者は、 誠実に謙虚に教えを受容します。 私も法話をしながら美しい瞳を見つけて歓喜することがあります。 菩提心に燃える瞳。 美しく清らかな…

仏教は無明の世界に、 皆既日食のように一瞬だけ現れます。 仏縁なき有情は、 百千万劫という時を経ても、 巡り会うことができません。 一方、福徳ある者達は、 貴重なご縁を頂きますが、 仏教を知れば知る程、 修行すればする程、 ダンマがいかに精妙で人智…

サンサーラ(輪廻)に幻出するすべての喜びは、 無明・顛倒見に立脚しています。 故に現象を無常・行苦・無我と正しく識別する修行者は、 いかなるサンカーラダンマ(諸行法)にも喜びを見出しません。 彼の至福と高揚感は、 ラーガ(貪)ではなく、 ヴィラ…

私達はいかなる現象に対しても、 分析的定義を与えることができません。 私達が或る「名前」を用いて、 或る現象群について意見交換しても、 その意味するところは完全に一致していません。 私達は言葉の持つこの限界を認識する必要があります。 言葉は本源…

布施は大きな喜びをもたらします。 お釈迦様のお鉢の中に、 たった一度だけでも、 食べ物を捧げられたら、 どれほどの至福が得られるでしょうか。 仏法僧に布施するなら、 布施できることに感謝し、 布施を習慣化し、 功徳を大きく育てて下さい。 布施行に狎…

「修行者は歩いている時、歩いている事を知る」とは、 どういう意味ですか。 足を上げる時、 地界・水界・火界・風界のどの色が、 主たる働きをしていますか? 足を前方に伸ばす時はどうですか? 足を下ろす時はどうですか? 足で地を押す時はどうですか? …

熟達した修行者は、 托鉢や伝法に向かう時、行っている時、終了して戻る時、 常に適切な所縁に心を専注させています。 彼は不必要な言葉を語りません。 語業の制御に通達していない修行者は、 前・中・後に不善語を語り、 不善業を蓄積します。 初心の修行者…

法が説かれる時、 あなたに善心が生起していますか。 渇いたスポンジのような受容力が備わっていますか。 謙虚でひたむきな「法を求める思い」が燃え上がっていますか。 清らかな瞳と光り輝く表情が法を説く声を貪っていますか。 これらの条件がすべて揃って…

私達は肉体を触、即ち地・火・風の感受により認識します。 もし触の感受が失われれば肉体を見つけることはできません。 楽受であれ苦受であれ触が感受される時は、 その瞬間に肉体という現象が生起しているとだけ認識し、 貪や瞋がそこから導き出されないよ…

「自我」として誤認されやすい、 最も身近で可視のダンマである「肉体」を対象として、 智慧の修行は始まります。 肉体の生成因は何か。 如何に生起し朽ちていくのか。 肉体に本源的に内在する無常・苦・無我の三相を、 ひとつひとつ看破していくことが、 ヴ…

足ることを知り、 今得ているものだけで満足する。 世俗の雑事が少なくなるよう、 最も質素に暮らす。 ひたむきに、 脇目もふらずひたむきに、 ただひとつの目的のために、 正道を歩む。 これらの生き方は、 心に燃え上がる出世間への菩提心があって初めて意…

アスピレーションに溢れた、 明るく軽快な心は伝染します。 ですからどんな時でも菩提心を表現するようにして下さい。 煩悩に汚された暗い心も伝染します。 自分の心が暗く弱いと感じたら、 言動を慎み、 他者を巻き込まないようにし、 一刻も早く顛倒を離れ…

ある人や状況に対してDosaを生じさせてしまう傾向は、 誓願や随念で抑えることができます。 しかしもし或る人があなたに対して、 理不尽なDosaをぶつけてくるようであるなら、 初心の修行者に出来ることはただ一つです。 その人と距離を置き、 怒りの毒を浴…

修行の指針となるようなお経やスタンザに巡り会った時、 それを暗記し随念し了知する事は、 私にとって今も胸の高鳴るような喜びです。 過剰なる智慧のもたらす抱えきれぬ程の豊かさを、 我がものにすることに至福と興奮を覚えます。 この喜びのない仏教修行…

幸福な物語と悲劇の相違点は、 幸/不幸ではなく、顛倒見/正見にあります。 Happily ever after~「いつまでも幸せに暮らしました~」は、 無明に覆われた顛倒見であり、 誤った世界認識に人を堕とします。 無常・苦・無我の世界は本源的に悲劇であり、 「…

生ずる現象は必ず滅するサンカーラの世界は、 無常であり、 苦であり、 刹那的に存在する名色に実体はありません。 娑婆世界を常住・常楽・実体と捉える謬見を超越し、 世間は藁草の様であると観る智慧から、 仏教の修行が始まります。 嗚呼、お釈迦様のダン…

釈尊が悟られた境地の空気を呼吸する福徳がある人は、 それが雲上にそびえ立つ最も高い山頂の冷気、 強烈なる霊気であることを知っています。 氷粒が希薄な空気に煌めく寂滅なるダンマの光の中、 自らまろがり出づる法輪が、 遙か下方の巨大なサンカーラの世…

入出息によって作られる似相を、 自らの瞑想修行の一生の所縁としてコミットする事に、 抗しがたい魅力を感じます。 入出息の似相が念珠の中糸の如く連綿と続き、 四念処法を初めとする様々な観法が、 中糸を巡って珠の如く繰くられていく、 それは正にお釈…

信愛の道は愛と奉仕と自己放棄の道です。 随信者の心には三つの尋伺しかありません。 菩提心で常に師を喜ばせたい、 菩提心の欠如で決して師を失望させたくない、 師への答えはいつも 「はい、師よ!御心のままに!」 預流道にまで至るこの甘美な道! 適性を…

貪瞋痴の三毒のうち、 最も緊急な対処が必要なのは瞋です。 瞋は決して言動として表象させてはいけません。 どんどん自己増殖して危険水域に至ります。 一方、 修行上最初に根絶を目指すべきは三毒ではなく見です。 「私」という感覚は、 常に謙虚さと誠実さ…

正見とは四顛倒の砕破を意味します。 無常→常住の顛倒、 行苦→常楽の顛倒、 無我→実体の顛倒、 不浄→浄美の顛倒にはそれぞれ、 見顛倒、心顛倒、想顛倒の三つのレベルがあり、 最も困難な心顛倒と想顛倒のレベルで、 浄美→不浄と、 常楽→行苦の顛倒が砕破で…

無始の過去から続く悠久の時の流れの中、 私達は「今この瞬間」から眼を背け、 常に「明日のために」生きています。 明日の希望を貪り、 明日の不安を恐れ、 何万回も生まれ、 何万回も死んでいく末に、 輪廻の存在を厭う心が芽を出す時が、 ついにやってき…

老いて力を失い、記憶を失い、 財や人は去り、 混乱し、動揺し、 持ちこたえられず、 変転は避けられず、 脆弱となっても、 智慧ある人の心は高揚し続けるでしょう。 環境や条件がどう変わろうと、 できる限りの善心を生起させていくだけで 最高の転生がもた…

今日一日が私達に何をもたらすか、 誰も知ることはできません。 ですから一日一日を、 今生の最後の日であるかのように生きましょう。 私達を幸せな来世に導くのは、 心からの菩提心であることを忘れずに、 死に臨んで一点の後悔もしないような、 そんな生き…

歩行瞑想で一歩を進める毎に、 至高の刹那が散りばめられていきます。 生滅していく名蘊の連なり。 生滅しながら次世代色を生成し続ける色蘊の拡がり。 一切が光の幻影となって、 すさまじい速度で変化していきます。 質量もなく、実体もなく、 ただ縁起で支…

眼門、耳門、鼻門、舌門、身門、意門の六つの門で、 あなたは所縁を感受します。 あなたは各所縁に反応し、 身門、語門、意門の三つの門を通して、 三種の業を形成します。 すなわち身業、語業、意業です。 六つのインプットと三つのアウトプット。 それがあ…

仏教の師は偶然に出会うものではありません。 弟子の機根が熟し、 学びの準備が整ったとき、 彼にふさわしい師が自然に現れるのです。 師は仏縁と知り、 学べるものすべてを真摯に学びとってください。 あなたが勇気を出して、 師に向かって一歩を踏み出せば…

仏教修行には少なくとも二つの能力が必要です。 逃げ場のない行苦を直観的に感知できる能力と、 行苦からの逃避を、 そのまま甘美な信にまで昇華できる能力です。 仏教者は行苦から、 仏法僧へと逃避します。 信愛の道でお釈迦様に逃避し、 慧の道でダンマに…