2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

たとえDukkhaを一切感受しない境界に入っても、五蘊の生滅がある限り、輪廻の輪から脱出することはできません。心と身体がそこに有り、感受作用がそこに有るなら、決して名色を超えた境界に入ることはできません。五蘊が完全に消滅すればこそ、真の解放が起…

病の原因には、不善業(Kammaja)不健全な心(Cittaja)栄養不足/偏り(Āhāraja)物質的原因(Utuja)があります。ウイルス疾患(=Utuja) の場合、仏教的に大切なのは、CittajaやĀhārajaにまで病気を拡散させない事です。つまり最善の医療に加えて健全な心と…

虚言から離れよ(musāvāda-veramaṇī)とは、事実をすべて語れ、という意味ではありません。もたらす影響を考慮せずに知っている事を何もかも洗いざらい語るのは愚かです。お釈迦様は沈黙を用いられました。Dhammaのみを語れ、それ以外は聖黙していなさい、そ…

渇愛は厭悪で塗り替え、その上で行捨で遠離します。ある現象に対して渇愛を感じないだけでは、十分ではありません。条件が揃えばいつでも感じうるのです。渇愛の対象に三相、特に苦と危険を見出してこそ、厭悪の心が生じ、やがて一切の現象を中捨する心、す…

世俗的な刺激的感覚対象に対し貪りや怒りが伴う思考が生起した時は、水面に指で字を書いていると観想して下さい。同様な感覚対象に対して善なる思いが生じた時は、木の棒で土に字を書いていると観想して下さい。出世間の果実を誓願する時は、心の仏塔にノミ…

三種の言葉があります。「蜜の言葉」は、ほんの一雫で聴く者を甘美にとろかせます。「花の言葉」は、周りが如何に汚れていても、高潔で凜としていて、慈愛に溢れ、真実で、人の心を捉えて止みません。「排泄物の言葉」は、語るに汚らわしく、聴くに不浄で、…

可能な限り聞法し、ダンマをしっかりと学んで下さい。大切だと思った部分は何でも、その場で自分でノートに書き写し、あとで何度もそれを音読して下さい。そのように学びを熟成させ、じっくりと時間を使った密度の濃い随念を修習していきましょう。随念は孤…

個性とはなんですか?自分らしさを出すことですか?あなたという名色の連続体が蓄積した「感覚的刺激対象への反応の癖」ですか?即ち煩悩の習気のことですか?いいえ、そうではありません。あなたの個性とは、あなたが無明を克服した時に自然に現れ出てくる…

かつての栄華は失われ、過去の汚点は消せず、明日の損失に恐怖し、明るい希望は見えず・・・。過去を追憶したり、未来を疑心暗鬼する人は不幸です。あなたは過去や未来ではなく、今この瞬間を生きているのです。今飛び込んでくる五門の所縁に対して、最善の…

理想的な仏教修行者には程遠くても、自分なりに真摯に信仰の誠を尽くしていれば、人生の際どい局面に於いて三宝が私達を必ず護って下さいます。もし私達が誰も傷つけず、いかなる不正もせず、虚言も吐かずに事態を収拾したいと心から思えるなら、確実にその…

不善を厭うこと。不善の刺激を求めてはなりません。不善心は常に動揺しています。冷静沈着な正念正智とも、燃え上がる菩提心とも完全に切断されています。心は動揺している限りマーラの領域に属します。そこで感受する一切の感情も、思惟する一切の思考も、…

多くの凡夫は五つの障害を持っています。修行に耐える心身が調わぬ生障、煩悩が抑制できぬ煩悩障、過去世からの不善業果による業障、正師に会えず正法に縁を持てぬ法障、正法を聴いても八正道の修習に縁づかぬ所知障。もし八正道修習に縁を得たなら、あなた…

地上に残る仏像の多くは既に空家かもしれませんが、かつては天上の光をプリズムの様に映し出していた筈です。いま私達にはブッダニミッタがあります。燦々と輝く仏の大光明が放射されています。天上の霊妙なる光の柱が輪廻の闇を突き射し、涅槃の門がまだ閉…

お釈迦様のお悟りは、今も太陽の如く燦然と輝いています。しかし仏舎利は凡夫の貪欲で既に汚されてしまいました。空海の菩提心の霊妙は、今も摩尼宝珠の如し。しかし密教の霊山は、ガラクタの山と化しました。永遠に美しきは出世間智と、そこに至らんとする…

過去世の名色の識別が可能になると、貪瞋痴による一切の過去の行為と果実は、成功、失敗を問わず、色あせた嘔吐すべき暗い墓標であることがわかります。そこにあるのは「膨大なCetanāの浪費」です。渇愛があれば好ましき過去は哀愁を生じますが、なければワ…

十代の頃、日本霊能者大全というとても胡散臭い本を持っていました。未来と過去の霊視、高次元の存在との交流、霊言、非接触治療、イエスの化身、涅槃証悟、禅定証悟などを自認する、500人を超す霊能者の写真が掲載されたその本のおかげで、以後私は霊能力話…

愛する人を慈しみ優しくいたわることと、その人を傷つけんが為に自己の目的を見失うのは別のことです。苦の消滅に至る解脱への誓願は、日々随念され、強固に心に確立されねばなりません。最後にあなたを救うのは愛する人ではなく、三宝への菩提心の誠である…

一度回転を止めてしまうと、再び車輪を動かすには大きな力が必要です。ローギアで最大の力を車軸に与えても、車輪はゴロンと動くだけです。何事も一度止めてしまうと、再始動には大変な努力が必要となるので、結局進み続けたほうが楽なのです。辛く思えても…

十二縁起の基本的随念では、A)無明→渇愛→取→行(有業)B)識→名色→六処→触→受と二分し、A)からB)が生ずる事を観察していきます。A)は即ち四聖諦の集諦であり、B)は苦諦です。過去のA)から現在のB)が生じ、現在のA)から未来のB)が生ずる。この無限連鎖(=生老…

もう人間界はうんざりだ、早く六欲天に転生したい!もしそう願うなら、今この場で天使になる事を決意し、あなたの周りのすべての人達に対して、天使のように振る舞うことから始めましょう。自分の長所や優位性は謙虚さで覆い隠し、子供のように無垢で純粋な…

仏教をオンラインで学ぶのは、非常時に糸を切らぬ為の一時的方便です。特に対面ではなく片側通行の学びでは真髄は掴み難く、お釈迦様の説法を直接聞くのと、2500年後にお経を本で読む程の違いがあります。学ぶ側にすさまじい程の菩提心がなければ、そのギャ…

もしその人にとって、あなたが喜びの源泉であり、生きる力の源泉なら、きっとあなたと共に生きたいと願うでしょう。もしあなたが自分の怒りや嫉妬や不安を、その人に無作法にぶちまけ続けるなら、その人は必ずあなたから離れていくでしょう。自分の汚物で大…

「私」という不善な視点は、いくら哲学的に思惟しても決して弱まりません。修行者はダンマをしっかり勉強し、我を忘れてその実践に身を捧げればよい。するとあれほど頑固で決して譲ることのなかった我身見も、徐々に弱まっていきます。実践せずに能書きだけ…

五蘊の連続体には、聖なる目標はありません。永遠の大生命に至るわけでもありません。絶対存在の必須なパーツでも、不二の本質でもありません。造物主たる神の作品でもありません。五蘊の連続体は無明をその種とし、渇愛と、渇愛を因とする行為により、あて…

お釈迦様の説かれる諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸々の悪を作すな、の「悪」とは、行為や言葉や思いにおいて、自他を害することを意味します。衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、多くの善を行え、の「善」とは、自他を害さず、法・財・無財の布施を為すの意です。…

通俗的物語の展開は、1.同化させ、2.期待させ、3.Dosaで追い詰めて、4.Lobhaの喜びで幕。というものです。4.を「悲しみのうちに幕」に入れ替えても、悲劇は作れません。ギリシャ悲劇のように「受苦でSaṅkhāra Dukkhaを悟った心の悲劇的高揚」で幕とすれば、…

Dosaによる不善思考が制御できない時は、自分にプレゼントをあげて下さい。Candleつきの食事、長い泡風呂、温泉旅行、一番好きな音楽。。。怒りの思考を止め、心に喜びを感じられるなら何でもいい、人は無明の中で心の均衡を保ちつつ成長していくのです。(た…

影響力を保持したいと願う他人の心中で、自分の存在が薄れていくのを実感すると、人は孤独を感じます。故に凡夫は孤独を避け、温もりの中で孤立することを好むのです。私はあなたとは違う!...森に住む聖者には孤独も孤立もありません。生きとし生ける一切の…

所縁が生起する兆候に気づくべきか、その所縁を知覚すべきか、知覚するなら如何に反応すべきかについて、心に三層のManasikāra(作意)のフィルターがあると観想して下さい。どんな汚濁が水道管に堆積していても、この強力なフィルターを通って蛇口から流れる…

凡夫は形ある対象から喜びが得られると期待してしまいます。その思いが欲望を生み、「私」という謬見が加わって、「私のもの」という執着が生じます。そしてその執着に執着し始めるのです。これらの要素の一つ一つを観察し、正確に分析していくだけで、欲望…