2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

黙ってそこに坐り、地球の自転を感じて下さい。色々な思考が通り過ぎていきます。色々なイメージが、楽しいものも苦しいものも、走馬灯のように現れては消えていく。二度とゲームには参加しない、そう決意した心は潔いほど晴れやかです。誰がなんと言おうと…

思い描いた通りの理想を現実化する方法は確かにあるでしょう。しかしあなたの心が無明に汚染されたまま、他人を批判し、怒りや嫉妬を正当化し、場合によって他を害する事もやむなしとし、物惜しみし、利他心を軽視するなら、人生の最後は悲惨でしょう。善意…

新製品の紹介文を読んで、後日、実際に実物を手にとれば、想像していたイメージと実際のものとは大抵とても違っています。言語の正確さとはその程度のものです。大まかな特徴は示せても、五感の経験の再現は不可能です。そんなものの組み合わせで真理に至る…

あなたがいようがいまいが、世界はいつも通り進んでいきます。他人や身の周りの状況があなたを苦しめるのではなく、あなたの心の抵抗が自らを苦しめるのです。あなたは「ここ」にいるのに「そこ」がいいと思う。あなたは「こう」なのに「ああ」なれたらと願…

私達が人生で感じる苦痛の多くは、対象を手放せないか、掴んだ対象を得られない事により生じます。「手放す」とは英語で"Let go"、一切関与せずあるが儘に任せる事を意味します。手放す事を学んで下さい。手放せば至福が得られることを、手放せば平安の境地…

「明日」はどこにありますか?明日に属するものが周りにありますか?あなたの身の周りの一切は常に「今この瞬間」に属しており、「明日」ではありません。「明日」は思考が作った概念に過ぎず、その時がくれば「今」となるのです。未来や過去は頭の中にあり…

背丈を超える草木が生い茂る未踏の原野に分け入るのは至難の業です。伝統様式は道です。たとえ獣道だろうと、先人達の轍を追えば、短時間で安全に先に進めます。伝統を学ばず、或いは否定する事は愚かです。もし途中で行き止まりになったら、その先に道を作…

理不尽と思える現実が目の前に現れると、これは怒りを爆発させてもやむを得ないの状況だと、誰もが思うだろう。さあ怒ろうか、どうしようか?そんな思考が0.5秒程の高速でアタマを駆け巡ります。習気が勝てば、あなたは怒りを爆発させる刺激を貪るでしょう。…

あなたは日々祈っていますか?精神修行と祈りは不可分です。祈りなしには自己完成の道は成立しません。祈りは心を清らかにします。祈りによって善なる心に命が与えられ、智慧が高揚します。祈りの習慣は私達を想像を絶する高みにまでいざなってくれます。さ…

至高なる者の意志ではなく、因果の法則で無目的に廻る輪廻世界。もしあなたが何か高次元の意図をそこに見ようとするなら、あなた自身の存在理由を見出そうとするなら、あなたは更なる誤謬に手を貸す事になってしまいます。この輪廻世界を動かしているのは無…

過去世で善行を積み重ね、今生でも善行に尽くしている五取蘊の連続体は、不善心を喚起する環境に縁づかず、たとえ不善行を為しても、直ぐに自省して善心に戻る「軌道修正力」を身につけています。世間では富貴を、出世間では涅槃を得ることができるでしょう…

そうである事をそうでない、そうでない事をそうだと見誤る。知人を違う名前で認識し、名前を聞いて違う知人を連想する。やっていない事をやった、やった事をやっていないと思う。感謝すべき人に怒り、怒るべき人に感謝する。明かに心の問題ではなく、情報伝…

思考とは何かを知るには、毎瞬私達の頭をよぎる思考をすべて書きとめてみて下さい。何について、どんな感情を持って思考したのかを、全て書き記すのです。心があれこれ興味を示すゴミのような対象が生起しなくなり、戯論である言語作用が沈静化すると、真如…

怒りをコントロールする為の第一歩は、今感じている怒りが、その瞬間、目の前に実際に生じた現象に対しての怒りなのか、頭に生じたイメージや思考から不快な状況を連想し、怒りが生じたのかを見極めることです。私達を本当に不幸にしているのは、私達自身の…

一刹那前に存在していなかった現象が生起した事が知られれば、その現象の消滅が不可避である事が知られます。その現象の消滅が不可避である事が知られれば、その現象が本源的に無常性を内包している事が知られます。その無常性の実相を見抜くことができれば…

生起消滅する現象を経験する時、私達はその名前や世俗的働きを見ずに究竟法に従ってその対象を識別していきます。ダンマの力は実に圧倒的で、三蔵に開示される真理はそのまま、一点の矛盾もなく現象の中に姿を現します。そんな修習の積み重ねにより、実相を…

他人への気遣いが必要ない時ならいつでも、意識をダンマに向け、心を開発することができます。周囲が静かなら理想的ですが、騒音の中でも心を専注させる事は可能です。たった三分であれ、絶対に瞑想を続けること。決して糸を切らないこと。それだけを守って…

毎日瞑想をやっても進歩しない、そんな声をよく聞きます。よい瞑想をしようと思えば思うほどあなたはその意欲に囚われ、瞑想が本来もたらしてくれる心の平安から、どんどん遠ざかっていくのです。瞑想とはあなた自身の電源をオフにして、しばしゲームから離…

心で掴んでいる限り、この世界は厭わしく苦しい修羅の戦場です。いくらその手を離したところで、何も変わりません。心で掴んでいる限り、苦しみは消滅しないのです。もしなにからも自由になった心でこの世界を見れば、一瞬一瞬万華鏡のように変転していく光…

精神修行では、決して妥協しないこと。どんな犠牲を払おうとも、最後まで初心を貫徹すること。俗世で富貴を得たいなら、いかに妥協し折り合いをつけるかを知ること。ひとや物事を受け入れる寛容さがあれば、幸せになれます。修行で妥協し、社会で意地を張れ…

怒りを爆発させる事を恐れて下さい。忌み嫌って下さい。あなたの不善心がまがい物の破壊的刺激に酔いしれても、あなたはその余りの粗雑さに不快感を憶え、身体の芯が萎えていくような感覚が実は自責の念によるものだと気づくでしょう。ですからもう決して怒…

怒りの炎を燃えたぎらせる人には、牙をむいて唸るドーベルマンに対するように接して下さい。刺激を与えぬよう、興奮させぬよう、とにかく細心の注意を払います。怒りに翻弄された人の論理は理不尽で、何をするかわかりません。狂犬と一緒です。落ち着かせな…

怒り、嫉妬、物惜しみ、悔恨、不安、恐怖、悲しみ、憂鬱、悲観、絶望。Dosaという煩悩が持つ様々な色調です。これらに共通しているのは、「対象を受け入れられない」という不快感を伴う拒絶です。悲しむ人も、憂鬱な人も、不安な人も、その故に最善の助言に…

心に煩悩が生起すると、心は不善心となります。不善心の特徴の一つは、我見(Diṭṭhi)心所が生起し、その不善性を「本当の私、私らしさ、私の個性」と取り違える事です。勿論その不善性は、あなたらしさ等ではありません。本当のあなたの心には、涙が出る程…

人生を前に進めていく実践的智慧。それは今この時点のすべての状況を前提条件として受け入れ、その上で出来うる最善を為す事です。そこには過去の追憶も拒絶もありません。何事もつかまず、囚われ無き心で現在の一切をあるがままに受容し、為すべき事を為せ…

病であれ、老いであれ、貧困であれ、どんなにつらい状況であれ、淡々と、明るく、前向きに、為しうる最善を為していきましょう。どんなに現状が悲惨だろうと、決して自己破滅的になってはいけません。今生の外的成功ではなく、いつも明るいあなたの善意こそ…

夫と妻がお互いに交わした約束を守り、身口意において互いに傷つける事なく、同じ信を持ち、お互いがお互いの為に律しあい、同じ布施を為し、同じ智慧を分かち合うなら、二人は最高のパートナーとして今生で幸福を享受するばかりか、来世も天界で夫婦となり…

あなたが心の深い闇に蛇を飼っているなら、結局みんなあなたから離れていくでしょう。蛇は周りに咬みつく人がいなくなると、あなた自身に咬みつきます。いくら蛇があなたの一部であり、守護者であると肯定したところで、世界の誰もそれを受け入れないし、み…

あなたの幸せの前提が、誰かを掴み独占する事であるなら、その幸せはとても脆く、すぐに怒りや嫉妬に転じ、あなたを苦しめるものになるでしょう。真の幸福には、誰も縛らず誰からも縛られないという大前提が必要です。故に幸せになるのはとても難しく、多く…

喜びにつけ、悲しみにつけ、熱情につけ、怒りにつけ、人の心はとても弱いものです。感覚対象に対して揺れ動く心の反応を、自分らしさと取り違えて固執し、煩悩を肥大させ、自らを不幸にします。私達には自らを律する基準と、心をより強く安定させる方法が必…