2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

生起消滅する心は、清浄な水に喩えられます。そして善であれ不善であれ、同時に生起する心所の色に、染まるのです。蓄積した煩悩は水底に沈澱しており、水がゆらげば汚泥が水中に舞い上がります。蓄積した波羅蜜も水底に沈澱しており、水がゆらげば舞い上が…

心の連続体は非常に頑固で、長年に亘って心底に蓄積してきた煩悩生起の傾向性を、決して手放そうとしません。ですから最初は煩悩の抑制ではなく、行苦の観察から始める事をお薦めします。行苦とその根本因の観察・随念を日々修習すれば、次第に煩悩生起を抑…

自らやると決めた日々の修行を心の弱さから一度さぼると、翌日も怠けたくなって努力精進の糸が切れてしまいます。サンガに趣いてダンマを学ぶ情熱も萎えてしまうでしょう。心の隙間に「私」や不善思考が怒濤の如く侵入し、あなたは底なし沼にズブズブとはま…

生起し消滅する一切の現象は、本源的に苦の性質を内包しています。生起するや否や瞬く間に消滅していく刹那的現象に、私達はいかなる喜びも見出すことはできません。執着したり怒ったりする意味もありません。そこにあるのは輪廻の闇に対する戦慄と嘔吐感、…

見ている当体は眼識。見ている対象は色彩。色彩を映し出しているのは眼浄。どこにも「私」はありません。眼識も色彩も眼浄も、生起するや消滅し、二度と再生しません。次の刹那には、新たな識が新たな対象を知覚し、そのまま消滅していきます。これが名色の…

世の中は人を苦しめる不完全性に溢れています。不善を無くし改善すべきを改善するのは、素晴らしいことです。但しその為に用いる言葉や文章や行為は、怒りや貪りではなく、無貪と慈悲の心から生じている事が絶対条件です。たとえ善の為と雖も、怒りや貪りで…

ダンマが菩提心と礼によって正しく受法され、学びの蓄積が熟成すると、「今この瞬間の現象」をあるがままに識別する正念正知の条件が整います。私達が真摯に学びを積み上げていけば、正念正知は必然的に生起するのです。正念正知もまた無我であり、「私」の…

眼で知覚されるすべての視覚対象は、取るに足らない刹那的現象です。色彩が生起し、眼浄に映り込み、眼識によって知覚されるや否や消滅してしまいます。もう二度と生起することはありません。それをまるで継続的に存在する実体であるかの様に誤認すると、様…

一瞬一瞬、五門に感覚対象が生起し、それを異熟心で感受していく。それが私達の経験する世界のすべてです。たとえどんなに快い対象が生起しても、どんなに受け入れ難い対象が生起しても、仏教徒が為すべきは、異熟をただ異熟として了知し、慈悲と無貪と智慧…

師の使命は、弟子の心にアスピレーションを育むこと。弟子の使命は、師の心をとろかせること。師は弟子に菩提心の閃きを与える為に命を削り、弟子はその菩提心で師を喜ばせることに心を尽くす。この相互関係がどちらも欠けることなく、堅固不動に確立された…

不善なる業果の結実を恐れれば、不善思考が大きな苦痛を伴って、心を席巻します。それは業果を恐れる不善心が、不善業の不善性を何十倍にも増幅しているにすぎません。いかなる不善業の業果も、実は静かに結実します。大抵は智慧を以て対応すれば、十分に解…

正しい信仰を護持し、清らかな三業を実践し、常に快活明朗で、慈しみの心で人々に接すれば、尊敬される智慧ある者となり、幸せで健康長寿で豊かな人生が送れるでしょう。お釈迦様のダンマを信じ、できる限りの誠を捧げ尽くす時、どれほどの福徳が得られるか…

いつも何かしら心配事を抱えていませんか?問題がたたみ込むように発生し、少しも休まる暇がありません。つい周りの人達や環境のせいにして、不満の一つも言いたくなりますが、本当の原因は煩悩に汚染された思考です。煩悩を伴った心で考えることをやめれば…

ダンマを随念していると突然、慧の閃光がおこり、ダンマの直観的理解が訪れる瞬間があります。それは正に至福の瞬間、私達の心に智が了知される瞬間です。了知され蓄積された智と、揺らぐことのない不動の信の力によって、心は次第に、自然に、八正道に向か…

毎日ダンマを学び続ければ、あるがままのリアリティに至れるでしょう。本を読んだりテープを聴いたりという、「私」を排除しきれない行為だけでは、学びは成立しません。日々、暗記した一行のダンマを、身の周りのありとあらゆる現象に見出していく。それこ…

一切の現象は生起するや否や消滅し、永久に戻ってきません。それが一切皆苦の本義です。各瞬間は消滅し、「私」に紐付けされた記憶だけが残ります。朝に経験した現象は今はなく、夜に対峙するだろう現象は未だありません。その瞬間を生きる為には、概念の世…

「如何に智慧を育む事ができるか?」「如何に離貪を確立する事ができるか?」質問しているのは無明と渇愛に汚された不善思考に過ぎません。今この瞬間を理解していないなら、どうして過去や未来を理解できるでしょう?「今この瞬間に八正道はあるか?」それ…

身口意による善行・不善行の傾向性は、毎瞬毎瞬、習気として意識の連続体に蓄積されていきます。ダンマを聞き随念する行為の善性と無量の価値は、これから先も決して失われることはありません。今この一瞬の慧の煌めきは蓄積され、数え切れぬ程先の未来の転…

この世界は人で溢れているように見えます。しかし実際は、おびただしい数の名と色が、原因と条件によって生起し、生起した瞬間に消滅し、消滅するや否や新たな名色が再び生起する連続体の集合に過ぎません。善なる心も不善なる心も刹那的現象に過ぎず、「私…

消滅した現象は二度と生起しません。過去や未来、概念や思考に生きる事に、どんな意味があるのか。無常を常、苦を楽、無我を実と見誤りつつ、無明の輪廻に縛られて生きる事に、どんなメリットがあるのか。私達は「今この瞬間」と共にある意味を、もう一度深…

ダンマの学習とは過去の講義文献を学ぶ事ではありません。涙あふれるアスピレーションで釈尊のみもとに歩み寄り、一言も聞き漏らさず、その場ですべてを暗記する程の集中力で法を聞く。その時、深い理解があなたの心に顕現します。Pariyattiとは本来、そのよ…

ある人が何かを見る時、そこには見るための肉体器官があり、見るという眼識の働きがあり、見られる対象があります。しかしその対象を見る当体はどこにもありません。眼も、眼識も、色彩所縁も、すべて瞬間的に生起し、消滅するダンマであり、そこに継続的に…

今この瞬間と共にあるとはどういうことでしょうか?例えばあなたが私の話を聞く時、もし私の声を聞いていれば、あなたはその瞬間と共にあります。もし私の話す内容を理解しようとしていれば、あなたの心はその瞬間と共にはありません。今この瞬間と共にある…

真剣な修行を徹底的にやっていると、周りで起こっている煩瑣な雑事が分別できなくなっていきます。僧院の日常や自分を取り巻く状況を、ぼんやりとしか認識できなくなります。それでよいのです!外界がどんどん不明瞭になるに従って、あなたの呼吸は、ますま…

絶対に揺るぐことのない一境性(Ekaggatā)を自らのうちに確立する。それが本格的修行の第一歩です。苦に終止符を打ち、涅槃を証悟する為のすべての修行の基礎となります。呼吸と完全に一つとなった一境性こそが、これから先の修行を実践していくための私達自…

安般念の修習によって、修行の精神的基盤があなたの心奥につくられます。どんな時でも心はブレることなく、呼吸と一体となっていくでしょう。より深い安止定に入ろうと思えば、一瞬にして入定できるようになります。この状態に至ればいよいよ、次なる高度な…

心が常に呼吸と共にいるようになると、「今この瞬間への気づき」と「心に映し出される呼吸」が、一体となっていきます。気づきと呼吸は、どちらも非常に鋭く微細になり、ついに心と気づきと呼吸の区別がなくなり、一つになってしまいます。その時あなたの心…

朝起きてから寝るまで呼吸だけに注意を向け続けるのは、容易なことではありません。おそらくほとんどの時間、自分の心を力づくで呼吸に縛り付けなくてはならないでしょう。しかしもし、気づきを一瞬たりとも呼吸からそらさない、と決意するなら、あなたはい…

修習を続けていくと、立っている時も、歩いている時も、座っている時も、ご奉仕の時も、お経を読む時も、部屋の掃除をする時も、あなたの心には常にはっきりと、くっきりと、呼吸が映し出されるようになります。なんという祝福でしょう!謙虚に誠実に、仏法…

私達の問題点は、「今、この瞬間」に生きていない事にあります。気づきが強力なボンドのように、呼吸に接着していなければなりません。過去や未来への不善思考は、気づきを妨害し放題妨害しています。一瞬たりとも煩悩の侵入を許さず、あらん限りの気づきを…