2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「百年間、不善行を為した人も、三宝に帰依する心を起こし、臨終時にひとたび仏を念ずれば、天界に再生する」と、BC1世紀の那先比丘経に説かれています。仏を念ずるとは仏随念です。後の浄土系仏教の源流もここにあります。やはりそうなんだ!古代仏教の本物…

NY郊外の家々の窓には、泥棒よけの鉄のバーが付けられています。日本は安全でいいなあと思ったものです。しかし今の日本には、嘔吐無しには立案できぬような不善を、平気でやる人達もいるようです。警察への通報が唯一の選択となる前に、釈尊ならどうされる…

仏縁というのは不思議です。様々な表象の仕方をします。鳴り物入りで近づいてきても、仏縁がなければ、紐はプツンと切れて、三宝の御許に居続ける事はできません。縁がなさそうに見えて、ヨーヨーのような軌道をとる、仏徳ある人もいます。私達の仏縁を思う…

容器を何かで満たしたいなら、まずその容器の中身をカラにする必要があります。心を神聖な喜びで満たしたいなら、禅定で心をカラにしなくてはなりません。心が安止すると意識は欲界を離れ、周りの空気は高密高圧かつ微細となり、禅定の圧倒的な力強さの中で…

道を究める人は、 一つの事をずっと、黙々とやり続けます。好むと好まざるとに関わらず、一日も欠かさず、どんなに逆風が吹こうと、やるべきことを、やり続けるのです。そこに必要なのは、身を捨てた覚悟です。今上陛下も伝説のスターも、孤高の道を歩む人に…

五根のバランスは、a) 信根と慧根のバランスを調え、b) 精進根と定根のバランスを調え、a)とb)の強度を調えて、全体を念根でつり上げていく、という方法で調えます。例えば赤味が強い映像を、捕色である緑を強めることで調和させるように、各根は対峙する根…

信は、すべてを支える根本です。菩提樹を繰り出す種子であり、解脱に至る主因です。慈悲は、滋養あふれる土壌です。一切の生命を決して傷つけまいとする決意です。その上で、学びの慈雨を得て、涅槃である太陽を目指して、止観行の年輪を重ねていく。仏教修…

眼前に生起する現象を、心が対象として捉える瞬間を観察してみましょう。対象を受け入れたいか、受け入れたくないか、心が瞬時に判断している事に気づくでしょう。一切の誤った見解や貪瞋痴の不善が、その瞬間に生じます。この心の働きが「渇愛が新たな転生…

あなたは祝福された釈尊の直弟子ですか?正思惟に照らし合わせて身調べして下さい。周りの人達とどんな関係を結んでいますか?布施と慈悲を実践していますか? 仏法を広めていますか?学びや戒律護持、瞑想だけに終始する修行なら、あなたは手足のない小乗者…

心を調教しなくてはなりません。禅定に入りかけた心が、その専注の対象である所縁から、一瞬でも外れれば、心は静寂な至福である梵天界から、貪瞋痴が逆巻く欲界へと、堕ちてしまいます。六十頌如理論で龍樹はこれを、「動揺している心は、悪魔(マーラ)の…

無常を随念し、無常の故に生ずる苦を随念し、苦の故に了知する無我を随念し、煩悩の遮断を随念し、離貪を随念す。一切の現象は不快なる事を随念し、貪る喜びを随念し、体内の虫を随念し、危険を随念し、名色の滅尽を随念し、行苦を随念す。これらの至宝が経…

私の心に深く脈打つこの感謝の想い、それだけが唯一の真実です。誰が何と言おうと、今、ここで燃えているのです。「この恩にどう報いることができるでしょうか?」そう自問すると、感謝に震える心は私に答えてくれます。「一刻も早く自己完成しなさい。それ…

入出息をメディテーション・アンカーとするのは、とてもよいアイデアです。日常の一切の活動において、心の何割かを呼吸に向け続けていくのです。ただし入息/出息の認識ではアンカーになりません。そうではなく、息が鼻の穴に触れる感覚だけを、入息出息と区…

私がミャンマーで最も違和感を感じたのは、清浄道に基づく十六観智の修行だけを行い、四念処を中心とした菩提分法には、一切触れることがなかった点でした。すべての仏教修行は菩提分法に集約されています。私は40年間、菩提分法の完成だけを目指してきたの…

最初期の仏教は他律ではなく自律であったことは明らかです。僧伽の後継者が律を統治に用いつつ加筆した為か、律の放つ香りは経蔵・論蔵の高貴なそれとは明らかに異なります。五戒の領域内で謹んでいればよいというものではありません。ダンマに沿って自らを…

ひとが生きていく上で、絶対にしてはならないこと、それは怒りを爆発させ、その刺激を貪ることです。他人に対しても、自分自身に対しても、決して破壊工作を行ってはなりません。怒りや嫉妬から、いかなる幸福も生じることはなく、必ず悲劇的結末がやってき…

今吸いつつあるその息は、一瞬のうちに消滅してしまう、かけがえのない息です。今吐きつつあるその息には、私達が希求する静寂と至福があります。入出息の一瞬一瞬が、キラキラ輝く奇跡の連続です。目を閉じて息を吸うだけで、至高なる真理と一体となれる、…

ケースに入れておかなければ、楽器は傷つき、薬瓶にいれておかなければ、錠剤は散逸してしまいます。形から入ることを嫌う人がいますが、様式は「中身を運ぶ容れもの」です。四十種類のサマタ瞑想、七清浄の修行階梯。七科三十七道品。これらの優れた様式の…

勇気を出して自らの人間関係をすべて正常化しましょう。他人が自分に対して何をしたかではなく、自分が他人に対して何をしたか、それだけを問うのです。赦し、感謝、慈悲、謝罪、懺悔。二度と顔を合わせられない関係を、正常に戻す事は無上の善行であり、深…

計画を立てる時、進路に迷った時、次の方法を実践して下さい。「お釈迦様ならどうされるだろう?お釈迦様にお訊きしたら何とお答えになるだろう?」そう深く随念した後、その思考を離れ、一心に安般念を行います。心が充分満足したら専注から出て下さい。お…

仏教を学ぶ人達が、仏教徒に見えないのは何故でしょう?最近の人達には何が欠けているのでしょう?当り前過ぎてウッカリしていました、下座行(げざぎょう)の決定的不足です。プライドを叩き壊しながら行う下座の精進。皆それを徹底的にやったからこそ、ピ…

道端の花に集まる蝶を追いかけず、まっすぐに道を歩いて下さい。いつまでも尾を引く思考に用心して下さい。あなたを説得しつつ絶望に突き落とします。すべて心の暗闇から生ずる幻想です。あなたを幻惑し、傷つけ打ちのめすマーヤです。敵は外にはいません。…

ローカ・ダンマですから、善い事も悪い事も起こります。しかし悪い事が起こっても、それに対して不善な反応をしない限り、壊滅的な事態を招くことはありません。いつも感謝を忘れない明るい心があれば大丈夫です。人生は期待通りには行かないけれど、最悪の…

成功への道程は、ピンチの連続です。艱難辛苦が大きければ大きいほど、「成功は近い!」と思えばいいのです。誇大妄想と呆れられる程の大目標を持ちなさい。心の底からできる、と思えば、どんな困難があろうと必ず成功します。緩い上り坂も、ダメだと思った…

否定し、批判し、悲観的な事ばかり言っている、負け癖を持った可哀想な人がいます。自分ばかりか、周りの人のやる気も萎えさせて、不善業をまき散らしています。できない理由は聞きたくありません。実現する方法を一緒に考えましょう。固い決意さえあれば、…

「信仰なき父母に信ずる心をおこさしめ、信仰にはいらしめ、信仰に安住せしめることこそ、父母に仕え、その恩に報いることである。」と、お釈迦様は説かれます。また、人の信仰を破壊しようと試みるだけで、地獄に堕ちるとも説かれます。お釈迦様の御心に、…

保身に走れば大義から乖離します。事なかれ主義に走った瞬間に、大志を捨てることになります。それは道徳的行為でも、和を重んじる行為でもなく、自らの矜持や尊厳に対する裏切り行為です。私達は常に勇気をもって、善なる判断をしなくてはなりません。決し…

後ろの二輪が善行、前の二輪がダンマの学び。これら前後の四つの車輪を、バランスよく回転させていけば、クルマは前に進みます。前に進んで私達を法の器へと導いてくれます。どの車輪が止まってもクルマは前に進みません。安定して前進して初めて、そのシャ…

南アフリカのダーバンに、ガンジーが創設したアシュラムがあります。30年程前に訪れた時、マハトマの孫に当たるお婆さんにお会いしました。彼女は生涯彼の教えを忠実に守り、清貧・断食・瞑想の日々を送っていました。ああ、マハトマは真に魂の師だったのだ…

お釈迦様のサンガでも現代の修行僧院でも、初心の修行者が師の許可なしに、独りで修行することは許されていません。常に善友と共に学び、善友と共に読経し、善友と共に瞑想し、師から定期的に指導を受けなくてはなりません。この教育法の有効性は歴史が証明…