2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

サティが確立してくると、心はふらつくのをやめ、山のような不動の安定に住します。キレサへの興味を失い、もはや雑念は生起しません。心は鋭い専注の至福に満たされ、圧倒的で高密度の静けさに埋没します。圧倒的で高密度の静けさ!静けさがいかに強烈なも…

専注が一瞬でも途切れると、その瞬間に汚染された思考が侵入してきます。過去と未来に関するキレサが生起するのです。あらゆる瞑想修行はこのように失敗します。それを防ぐには、心をアンカーに接着させてしまうことしかありません。入出息以外には心を向け…

入出息への気づきに生きる真摯な修行者の日々のスケジュールは、とてもシンプルなものになるでしょう。「1日24時間、週に7日間、立っている時も、歩いている時も、座っている時も、横になっている時も、眠らないでいる限りは意識を㐡出息に専注し続け、自ら…

一日30分、座って入出息に専注するだけでは、決して入出息は私達のものにはなりません。意識しなくても、すべての姿勢で心がいつも入出息と共にあるよう、徹底的に練習しましょう。そうすれば真のサマーディが私達の中に現れるでしょう。 その時、私達の心に…

お釈迦様の修行階梯は安般念から始まります。入出息をアンカーとして心の中に確立させるのです。どんなに長くかかろうとも、その境地を完成するために、できるすべてをやり尽くしましょう。何十回でも、何百回でも、何千回でも、何万回でも、何百万回でも、…

解脱する、今生で苦に終止符を打つとは、本来、輪廻する有情に為しうることではなく、仏法僧の加護のもと、奇跡的に可能となる偉業です。故に自らのすべてを完全にその目的に捧げつく事が必要です。自分の心にたとえ一センチでも妥協があれば、修行の完成に…

修行を成就する、禅定に入る等の世俗的な欲望は、下水に流してしまいなさい。ニミッタのことなど、忘れて下さい。将来の修行人生の設計も、ひとまず白紙キャンセルして下さい。なぜか?そのどれもが煩悩を因とする思考であり、Uddhacca(掉挙)を生起させ、あ…

私達は常に「今、ここ」にいなくてはいけません。私達の全注意力は常に自らの入出息のあるところ、「今、ここ」に向けられていなくてはいけません。修行の成功に思いをはせることは、私達の注意力を「今、ここで呼吸している息」からそらせる有害なものであ…

ラーマクリシュナが「神狂い」と呼ばれたように、私達は周囲から「入出息狂い、アナパナ狂い」と言われるまで、入出息に没入しましょう。寝ても醒めても狂人のように、私達は入出息だけを追い求め続けましょう。私達の意識が本当に入出息と共にある時、私達…

過去の楽しい思い出や辛い記憶に、足を取られてはいけません。今この瞬間、すべての過去と未来を、頭から完全に追い出しましょう。期待をすれば裏切られます。それがローカダンマです。修行の成功という誓願ではなく、実際に絶え間なく入出息へ専注すること…

日々の修行がうまくいかない時は、お釈迦様の直弟子の方々がされたように、すぐにお釈迦様に祈って下さい。「お釈迦様!わが最愛なる師よ!私が朝から夜まで、入出息と共にいられるよう、どうか私にお力をお貸しください!」そのように至心に祈ったなら、私…

安般念修行者にとって、呼吸に注意を向けることは「生きる」ことそのものです。その他の一切は価値のない藁草にすぎません。自分の修行が進む、停滞する、後戻りする等の思考は、何の意味もないものだと知ってください。自らの入出息と共にいられるなら、本…

自分の持てる限りの注意力を、常に入出息に向けていなさいと、お釈迦様は説かれています。それ以外の一切へは、心を向ける必要はありません。起床から就寝まで、立っている時も、歩いている時も、座っている時も、横になっている時も、安般念修行者の専注の…

できる限り精密な専注を対象に向け続けることが、何より重要です。何があっても心を専注させ続ける対象を、メディテーション・アンカーといいます。「Buddho」という言葉や「お腹の膨らみと凹み」を教える師もいますが、私達はブッダご自身がそうされたよう…

諸々の事象は原因に依存して生起し、条件の変化によって消滅します。諸法の相互の関係性を二十四縁起として捉え、輪廻する有情の名色の連続体の流れを、十二縁起として捉えることで、私達は一切に内在する無常性・苦性・無我性という、三つの本源的な性質を…

仏教は現実からの逃避であってはなりません。自分は仏の直弟子であると観想し、現在与えられている環境の中で、できる限りの善行をつくしましょう。そして、徳によって成功することを目指しましょう。仕事や家庭で万徳円満を実現できない人が、どうして仏教…

お釈迦様はサンガ確立を決意されると、「比丘達よ、行きなさい!」とおっしゃいました。全国に遊行して法を広めよと命じられたのです。自学・自行のクローゼット仏教で波羅蜜を積むことはできません。現代においても正法宣布の実践は、仏教を志す者が必ず修…

あなたは何人の方々にダンマをお伝えしましたか?何人の方々に仏縁をおつなぎしましたか?その福徳のなんと大きなことか!修行者は涅槃証悟に必要な波羅蜜を積まねばなりません。ダンマの宣布は心を浄め、人を創り、法の器へと成長させてくれます。積徳なき…

お釈迦様は、相応部善友経で、「善友は修行生活のすべてである」とおっしゃられました。仏教修行はひとりではできません。善き法友と助けあい励ましあいながら、共に歩んでいくことが不可欠です。私達はこの言葉をよく随念し、自らの修行生活のなかに活かし…

仏法僧の祝福があれば、どんな困難な状況であろうと、必ず最善の解決が得られます。ブッダと、ダンマと、聖弟子の集いのご加護は、正に圧倒的です。世界はいつも不完全であり、ろくでなしですが、勝利は強固なアスピレーションを持つ仏教者とともにあります…

私達の存在そのものに内在する本源的な苦を認識することと、その苦から解脱する方法を実践していくことが仏道です。その根本には、止めようにも止められない永久自燃機関のような「業と業果の連鎖」、すなわち輪廻転生があります。それがお釈迦様の根本教義…

目的がいくら崇高でも、山頂に至る道が険しく、途中で挫折してしまうような仏教は、多くの人々の為のものではありません。私達を人間として成長させてくれる仏教、今この瞬間を百倍も幸せにしてくれる仏教、家庭や社会に万徳円満をもたらす仏教、私達はそん…

自分の人生を、「今生の誕生から死まで」としか捉えられなければ、過ぎ去った時間は時々刻々増大し、未来の時間は減少し、過去が心に重くのしかかっていきます。今生を輪廻の一コマと捉える事ができれば、「過去はクズ」と認識し、明るく拡がる未来へ向かっ…

束の間の仮住まいのこの生存で、あれこれと手を伸ばし、感覚対象を掴み執着するのは、大きな負債を背負い込む事に他なりません。縁あって身の周りに集まってきたもの達を、あるがままに受入れ、大切にし、満足していれば、いかなる負債も生じません。債務な…

何かを成就せんと願うなら、毎日心からの祈りを捧げてください。祈る時はまず、人生に感謝し、両親と家族に感謝し、仏縁に感謝し、三宝の祝福に感謝し、自然の恵みに感謝し、国家に感謝し、師に感謝し、善行を積める機会に感謝の誠を捧げます。その上で身口…

清浄道論では害意を「有毒な腐った尿」と表現しています。他人から浴びせかけられた害意を、決して自らの心に侵入させてはなりません。他人についての害意に満ちた悪口を耳にしても、決して心に侵入させてはなりません。「害意は有毒な腐った尿」と観じ、忌…

私達の煩悩は狡猾で、修行できない言い訳をすぐに探しだします。世界は修行できない理由でできていますから、言い訳には事欠きません。逆境であろうと、絶対に修行しなくてはならない、という理由こそ探して下さい。死ぬ覚悟で修行した時期は、あなたの人生…

ひとがこの世で持ちうる最高の財産は信であると、お釈迦様は説かれました。ひとは信によって、見、有、貪、無明の四つの暴流を渡るとも、おっしゃられています。仏道修行は信から始まります。すべての清らかな奇跡は信によってもたらされます。燃え上がる信…

最初の矢とは、異熟により苦況に陥ったり、肉体的苦痛を感受する状態を指します。二本目の矢とは、苦しみや痛みに直面している自らの状況にいきどおり、その現実を受け入れ拒否する瞋の感情です。二本目による苦は、最初の矢の何十倍も苦しいと、お釈迦様は…

心がつかむ刺激的感覚対象は、眼耳鼻舌身の五門からインプットされます。私達はそれらに対する反応を、心と言葉と行動を通してアウトプットします。インプットは過去の業の異熟であり、アウトプットは新たな善/不善業の形成です。自らの名色をこの流れで捉…