2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

何を見抜き証悟したとしても、ニュートンのレトリックを借りれば、ダンマの広大な砂浜で、一粒の砂を拾ったにすぎません。三宝の無量無辺の真理世界に抱かれて、謙虚で誠実な小児のような心で、キラキラ光る砂を見つける、そのように般涅槃するのです。「私…

誤った先入見の表象の総和が世界です。その中で現象をあるがままに見るには、勇気が必要です。現象の本質を看破するには、不動の覚悟が必要です。世の謬見に反した認識は全世界を敵に回し、ガリレオ的受難をあなたにもたらします。故に仏教者は聖黙し、菩提…

信に基づく不動の義というものがあります。心は、盛運の時には、利を見込んで浮き足立ちますが、苦難の時は動揺し、信と義が試されます。人としての真価がそこで露呈します。心が燃えている者は幸いなるかな。道を定めた者は幸いなるかな。利にさとく信義に…

八正道を歩む者は、この輪廻世界に本源的に内在する、無常性・行苦性・無我性を見抜かなくてはなりません。それは離貪と呼ばれる、智慧による内的な手放しであり、高い意識の嘔吐感を伴います。そして、SMILE!あなたの周りの人達に、常に慈悲深くあることを…

今日の世界が明日以降も続くとの前提の上に、心の安定が保たれています。しかし今日の世界を見て下さい。911や311を思いだして下さい。世界がいかに脆弱か、明日の安定継続がいかに甘い想定かがわかるでしょう。厭う想いが生じた人は幸いです。私達の幸福は…

心底に沈殿したヘドロのようなĀsava(漏)が煩悩の本体です。心の表面に浮上すれば貪や瞋として表象するものの、漏は本来、より混沌としたものです。貪瞋痴に分類できない幾つかの本能的モーメンタムが、煩悩生起の潜在的傾向性を形成します。例えば攻撃的傾…

私がブラジルで学んだ最大のものは、Tropicalismo(異文化流入に対する防御壁)です。もともとは音楽用語ですが、文化のグローバリズムから自国文化を守る、最も洗練された方法です。仏教に当てはめると、大寺派仏教等の異教的様式の流入に対し、それを無防…

仏教で説く地水火風(ちすいかふう)の四大元素は、接触神経が感受するRūpaで、非常に精密で深遠なダンマです。例えば人差し指の先で何かに触れれば、そこには必ず地水火風の知覚があります。五行思想の木火土金水(もっかどこんすい)は、熱による名色の変…

参学者はやるべき事をやらねばなりません。努力を怠ればツケを払うのはあなた自身です。修業日誌をつける事から始めて下さい。日々の修行について自身と語り合う習慣を身に付け、自らに恥じない修行を行うのです。そしてPāramīcardを必ず提出すること。請願…

視覚対象を感受していると認識する時、あなたはそれを本当に観ていますか?ラベルを貼っているだけではありませんか?もしそうなら、そこにサティはありません。視覚対象の感受を本当に識別すれば、その一瞬に無数の複雑な心的現象の生起消滅を観ます。まさに…

追憶された過去が、幸福なものであればあるほど、セピア色の無声映画のような無常感が、私達の心を苦しめます。未来が如何に希望に溢れ、輝かしく見えても、その未来を生きた後に追憶すれば、それはやはりわら草のように悲しいのです。これが私達が執着して…

美味しい梨を育てるには、収穫直前まで袋をかぶせて、保護する必要があります。四禅九定を完成し、十六観智を証悟して、預流や一来に至る修行者の心は、非常に繊細で壊れやすく、外部からの粗雑なDosaに耐えられません。不注意に数秒以上害意を投げつけると…

和を重んじる高潔で謙虚な日本人でいたいのです。善意を示す事しか知らない素朴な米国人達と、旧交を暖めたいのです。無明や怒りや嫉妬に翻弄され、姿を隠して他人を害するような、卑怯な人間になりたくないのです。堂々と大義を表明し、実際に大義を呼吸し…

止観行で証悟する智慧は、言語による記述を越えており、音楽的と言えるかもしれません。旋律は抽象的意志の表象で、歌詞はその具体的記述です。(故に一番、二番~が生まれます。)両者は別次元の衝動です。ダンマは旋律、経文は歌詞。故に法を重んじ、文字…

随念修行を地道に継続していくと、次第に智慧が備わってきます。心は徐々に思考から自由になり、真諦と世俗諦の違いを、心で明確に了知できるようになるでしょう。もはや世間法で眼を覆われる事はなく、欲界所縁を掴む事もなく、「私が存在する」という謬見…

八正道を奉ずる善行の功徳は実に強力で、極悪人でも涅槃に至る程ですが、救いなき重篤な悪業もあります。その中で私達が最も注意すべきは、信仰ある者の信を破壊する行為です。例え信仰の対象がイワシの頭であれ、他人の信を絶対に破壊してはなりません。死…

日に何度でもAdhiṭṭhāna(決意表明)と信仰告白を、行って下さい。三宝に祈りと賛嘆を捧げて下さい。子供っぽい純真な想いで構いません。いや、むしろその方が良いのです。心のありったけの善なる思いを前面に絞り出し、それを情熱に昇華させ、誓願を燃えた…

眼は色彩、耳は音、鼻は匂い、舌は味、身体は接触、心は概念。六つの門は六つの領域を持ち、六種の所縁がそこに生じます。識別を行う場合、一門では不十分で、六門を縦横無尽に使う必要があります。例えば色彩を識別したら、同じ色聚の香や味、地・火・風の…

無常を常住、行苦を常楽、無我を実体、不浄を浄美と見誤る事を、「転倒」と呼びます。世間でどんな苦痛の中にいようと、随念でこれらの転倒を破壊した瞬間、あなたはかつて感受したことのない、本当の安らぎ、心の平安を経験することができます。それは涅槃…

何かについて思考しているとき、その思考自体を識別することはできません。思考の識別は、直後の心路過程で、その思考を行ったCittaを識別する事によって為されます。さらにもし可能なら、その思考の直前に、言語作用や論理的展開を構築する前の、原思考が生…

よく仏伝に登場するマーラは、欲天界最上層の他化自在天の王です。欲望と快楽の世界を護持する為に、釈尊と僧伽の破壊を何度も試み、激戦が繰り広げられたと伝えられます。一方、天界に転生した釈尊の弟子達は、今も私達を不思議な力で守護し祝福し、涅槃の…

そこに明らかな善なる意図がない限り、何かを語り、或いは為す場合には、一度中断し、数秒から数日の後に再検討し、行動に移すようにしましょう。そのようにして不善な言葉や行動を、半減することができます。「勢いで為す」のが一番よくありません。人生の…

五門に現れる色声香味触は蜃気楼。過去の行為により生ずる幻影です。思考や貪瞋痴の感情は水面に浮かぶ泡。心底に流れる汚泥から吹き出します。絶好調の時もピンチの時も、貪ったら負け。怒ったら負け。心のどこかで、これは人生ゲームにすぎないんだ、とい…

思考を止めて心を対象に専注させていくと、徐々に身体の中が光で溢れていく事に気づきます。暗闇で目を閉じても、まぶしくて眠れない、という現象を経験します。この光は心が毎瞬生成するCittaja-vaṇṇa(心生色)で、特に心が禅定に近づき静寂になっていくと…

民主主義の本懐は公平平等たる事であり、その根本には相互への敬意と、公正な行為への情熱がなくてはなりません。故に人は民主的である事に命を賭け、紳士的に負けを受け入れられるのです。負ける苦より公正に行為する誇りが勝るのです。不正に勝っても喜び…

現象をあるがままに観る智慧、それが正念正智です。「私は現象をあるがままに観ている」と認識している限り、そこに正念正智はありません。正念正智が生起すればその認識は生起せず、その認識が生起すれば正念正智は生起しません。現象を観るのはあくまで念…

悲しみに打ちひしがれ、苦しみ絶望している人々の心に、癒しと生きる希望を与えられる仏教でありたいと思います。そして善男善女の真摯な祈りで、支えてもらうに値する仏教でありたいと思います。自分の為の仏教なら修行する意味はありません。自利の修行で…

智慧を悟った者は、自らの証悟について沈黙を守ります。自分が何を修行し、何を証悟したかを人々に語る者を、信用してはなりません。自らの修行のレベルは、自分の師に対してのみ語るのです。同時に、他人の証悟について、あれやこれやと噂をしてもいけませ…

善き瞑想の師を見分ける方法。深いアビダンマの知識を身に付けているか?無礙解道を完全に習得しているか?八禅九定十六観智を証悟しているか?もし彼がアビダンマと無礙解道を順守して、八禅九定十六観智を指導するなら、聖者か凡夫かに関わらず、彼は正し…

山頂の台地を阿羅漢果とすれば、頂きに至る登山道は様々あり、途中で証悟する預流果の風景も、画一的に語る事はできません。人は各々個性的な業を蓄積しています。預流の聖者に共通する外的特徴は、その圧倒的な信ですが、他の気質は実に多様で、外から預流…