2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

清浄道によれば、正思惟は四聖諦の看破である正見を得た時、共に得られるとあります。しかし正思惟は七仏通誡偈でもあり、そこから正語・正業・正命が正しくマニフェストされ、その徳を以て止観行に進むとも言えるのです。正思惟のこの二極性をを正しく知る…

一瞬一瞬、すさまじい勢いで、過去の業の結果であるVipākaの矢が五門に突き刺さってきます。私達にできる最善のことは、そのVipāka Cittaで感受する現象に対して、「なにをするのがKusalaか?」と、毎瞬、問いかけ続けることです。余計なことを考えずにそれ…

一切の刺激的感覚対象は醜く荒廃し崩れ去る明日を内包しています。お釈迦様は外側が甘く内側が苦いキンパカの果実に喩えられました。さあ、今すぐ断ち切りましょう!さもないと終わりなき輪廻にまた引き戻されてしまいます。魅力に負けて掴んでしまうと、再…

慈しみの想いを捧げる事は心にとって甘露のネクターです。無慈悲に一瞥する人は賤しく不浄であると言われます。故に私達は慈しみの想いを自らに確立せねばなりません。かつて無慈悲な殺戮者だったアングリマーラ尊者も、仏の光に触れて雲が晴れた満月のよう…

幸せになりたいならシンプルに生きる事を学びましょう。クリーンでシンプルに生きれば煩瑣な雑事に巻き込まれる事もありません。こんがらがった貪瞋痴の衝動を、一つ一つほぐしていくのです。煩悩で穢されていない心は今まで気づかなかった小さな喜びを至る…

心が暗くなったらいつでも、呼吸を鎮めて心を仏相に合わせ、一切をお任せして下さい。思考も止めてしまいましょう。その状態にいる限り禍いは起きません。もしそのまま禅定に入る事ができれば仏相は如意宝珠の大光明を放つでしょう。この世の福も天上界の福…

過去はすでに過ぎ去り、未来はまだ訪れていない。私達が生きているのは今この一瞬だけ、というシンプルな真理を、もう一度深く熟視して下さい。私達の生き方が変わるその悟り。簡単ではありません。僧伽の師と善友に支えられながら、繰り返し繰り返し、修習…

原爆投下を指示した人物に対して「人間の命を何と思っているのか!」と怒りが湧き上がるのは当然です。しかし八正道の正思惟から見れば、彼の死後の転生と受苦を思う時、彼もまた慈悲の対象となります。どんな理由であれ決して怒りを生起させないこと。それ…

修行者はよく僧伽がなくても修行を続けていけると高をくくります。しかし僧伽を離れた瞬間、煩悩は小さな隙間から侵入して心を占拠し、いつしか私達を別人に変えてしまうのです。僧伽を離れると修行者は修行を失ってしまいます。例えOnlineであれ双方向の定…

一切の事象は秩序から無秩序へ、混沌へ、カオスへと向かう傾向性を持っています。家の中も、煩悩も、自然に任せれば、手に負えなくなっていきます。掃除、洗濯に時間を割くことも、経典読誦をかかさず行うことも、心身を無秩序から秩序に引き戻し、瞑想に適…

帰依仏は信仰の宣言です。帰依法は学びの宣言です。帰依僧は修行実践の宣言です。帰依僧!みんなでもっと僧伽を拡げていきましょう。瞑想と修行のスペース。善友同志の清らかでつつましい場所。あなたの家に、あなたの町や都市に、そんなセンターができれば…

荷物が重くて独りで運べない時、誰かの助けがあれば、重さを分担して荷物を運ぶことができます。心の苦痛が耐えられない時、その苦痛をあなたに寄り添って理解しあなたを抱きしめてくれる人が必要です。あなたの心の苦しみを半分にし、やさしく支えてくれる…

怒りや貪りなど、不善の反応をしたほうが、よりよい結果を生むという縁起関係はこの世には存在しません。たとえどんなにひどい業果に苛まれても、決して怒らず悲しまず、たとえどんなに魅惑的な業果が現れても、決して求めず貪らず、善なる心で、善なる意図…

彼はあなたを誤解した、彼はあなたに暴言を吐いた、彼はあなたを公衆の前で愚弄した、彼はあなたを社会的に抹殺した。。。許してあげなさい!身口意の反撃によって、誰をも打ち負かすことはできません。慈愛を以て相手を許すことだけが、万人の認める崇高な…

私は在家信者の独善的なステレオタイプ集団が好きではありません。修行者はそれぞれみな違う長所を持ち、夢を持っています。ひとりひとり、個性溢れる特別な存在になったらいい。彼等が日々の生活に無理なく仏教を取入れ、より善い人生を作るお手伝いができ…

あなたが昔情熱を傾けた大切なもの、音楽や映画、絵画や文学、服やライフスタイル、友人との語らい。皆あなたの琴線に触れた特別なものでした。それらを捨て去れば、心の特性の一部を失うことになります。在家なら、過去の情熱とダンマのシナジーを作ること…

世間には怒りの刺激を求め、喧嘩の種を求めてくる人もいます。悪意のない行為でも彼の気に障れば、怒りをぶつけてくるかもしれません。私達に悪意がなく彼を傷つける意図がないのに、彼の不善に巻き込まれるのは馬鹿げています。正念を以て怒りの生起を抑止…

慚愧は戒を保つ根本です。慚(ざん)とは煩悩に負け不善を為す自身を恥じる心、愧(き)とは不善業がもたらす業果を恐れる心。お釈迦様は慚愧は世界の守護者である、と説かれました。慚愧が「今この瞬間」に生起していれば世界は極楽の如く、真の謙虚さと誠…

「たとえ一瞬でも身口意の三業を仏印、即ち仏の三密と観じて禅定に端座すれば、あまねく法界はみな仏の三密となり、虚空ことごとく悟りとなる」これは弘法大師の言葉ではありません。道元禅師が正法眼蔵で語られた言葉です。 三十七菩提分法を称賛されたこの…

私達はよく誤った判断をします。それはしかたがありません。問題はその間違った判断を改めず、むしろそれを土台にして、善なるものを構築しようとすることです。賢者も誤った判断をしますが、それに気づくと、如何に手遅れに見えても直ぐに改めます。これを…

あなたが夢見る自分だけの「理想の箱庭」。あなたは知らねばなりません。美しい庭には多くの手入れが必要です。害虫や雑草の駆除。何袋ものゴミ捨て。一日休めばそれだけ庭が荒れてしまいます。そんな苦労をして「見た目が美しい庭」を造りたいですか?私は…

私達は対象を知覚した後、喜び、不快感、不苦不楽などの感情が噴出すると突然無防備になり、感情を露わにしてしまいます。まるで噴出する感情が変更できない真実であるかのように。しかし感情は単なる感情です。智慧ある人はそれを認識し、抱きしめ、抑制し…

瞑想会は、チベット・ティンシャ・ベルの音で始まります。この清らかで精妙なベルの音は、何の合図なのでしょうか?私達の移ろいゆくざわついた心を、「今この瞬間」に戻して下さい、という合図です。このベルが聞こえる度に、私達は心を、今この瞬間の清廉…

私達の存在は時々刻々生滅して次の名色へと流れる五取蘊の連続体です。まるで寄せては返す波の様に前に後ろに右に左に衝突を続け、苦の中に生まれ死ぬ輪廻を繰り返します。確かに私達の表層は波ですが、深く潜れば生死なき深海の水になる。禅定は正に深海の…

臨死業において問われる最大の問いは、何の為に生きたか、という事です。あなたの人生が煩悩を満足させる飽くなき貪りの連続だったのか、それとも聖なる御方への、善なる理法への、一切衆生の福利の為の希求だったのかが問われるのです。その前提で人生を構…

怒りとは恐るべき暴力的エネルギーです。決して巻き込まれてはなりません。目は覆われ、心は曇り、言葉に於て、行動に於て、思いに於て、すさまじい破壊力が荒れ狂うのです。すべてをメチャクチャにしたいですか?そうでないなら、どうか怒りを抑え、あなた…

決心すればいいのです。判断が善ならば一切の疑いは霧散し、どんな犠牲を払ってでもやらねばならぬとの情熱が燃え上がり、その為に先ず何から始めるか、アイデアがめまぐるしくアタマを駆け巡るでしょう。機を得た行動は独特の香りがします。Chandaが、Vīriy…

相手に自分と同じものを期待せず、その上で相手を喜ばせる工夫をしていけば、案外よい人間関係が結べるものです。別々の個性を持っていればこそ、互いに足りないところが補われ癒されるのです。大切なのは二つ。受け入れることと喜ばせること。人と人とのよ…

何であれ技術を身につけたいなら、ただ単に方法を学ぶだけでなく、その雰囲気やスピリットまでをも感じとり、自身からそのたたずまいが自然に放射されるようになるまで反復修習して下さい。各要素をマスターするのは勿論ですが、さらに重要なのは、全体のバ…

お釈迦様は肉体の無常を覚る為だけでなく、若い比丘達の性的欲望を抑制する手段として不浄観を指導されました。現代の在家修行者の場合は不浄観ではなく、年齢によって父/母、或いは兄/姉、弟/妹、息子/娘等と観る事によって、親愛なる感情を残したまま…