2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

アビダンマを学び、無常・苦・無我の三相の理法を十分理解したと自認する修行者でも、刺激的感覚対象を目の当たりにした瞬間、貪りを生起させてしまうことがあります。思わず対象物を「永遠に美しいもの」と認識してしまうのです。故に三相四十行相随念の反…

今この瞬間と共にいよう!瞬間瞬間の対象に気づき続けるんだ!そうやって力んでしまうと、せっかくの意欲が台無しになります。気づきのコツは静寂なる空間にピーンと張られた一本の絹糸。より微細に、より鋭く、傍観者の立場で観察するのです。粗雑な圧をか…

夜明けの太陽のように、それは突然やってきます。じわじわと、少しずつ、しかし確実に、あなたは目の前の現象を、あるがままに見始めるのです。日々の随念の修習が、いま実を結び始めていることをあなたは大きな感動とともに知るのです。ダンマは実証されま…

若者はある程度の慢心やぎすぎすしたナイーブさがあっていい。それらは青春の圧倒的な前進力の源泉です。しかし熟年を迎え人生の無常・苦・無我の味を嫌というほど味わった者の場合、慢心はひどくみにくく見えます。慢心なく謙虚で、徹頭徹尾与える事しか知…

第一印象はとても重要です。この世に偶然はありません。一切の出会いは縁により実現します。過去世の不善業の果実として誰かがあなたの前に現れれば、あなたは一瞬、嫌悪を感じるでしょう。逆に善業の果実としてあなたが誰かと知り合うなら、好感とどことな…

疑う心とは、迷い決められない心です。ダンマを学んだら、それをあなた自身と身の周りの様々な事象の中で、確認していきましょう。法の意味するところを明確に知り、それが世界に表象している様相を観察して下さい。あなたの経験があなたに確信を与えます。…

心は散乱している限り、不善の領域に属しています。如何なる大義があろうと、ざわついた心によって善が為される事はありません。散乱心で如何なる事も行ってはなりません。湖の水面にさざ波が立てば、世界を映す事ができません。鏡のような不動の心に世界は…

怠惰で曇った心は周りに波及し、あなたの隣人の心をも曇らせます。天上からあなたに霊光のスポットライトが当てられていると観想しながら、怠惰でよどんだ息を吐き、光輝く精妙な霊気を吸い込みましょう。あなたの身体からも目映い光が放射され、心が光に満…

六門に生起する感覚対象への嫌悪はその因を誤認して他への悪意を生みやすく、他人への害意を生ずるに至ります。害意は自らの足元をも破壊し、せっかく苦労して蓄積した功徳の林を焼き尽くします。害意が生じたら執行せずに放置すること!害意の対象の無常性…

六門に生起する刺激的感覚対象への思いは心深くにうごめいていて、あの手この手で私達の集中を阻害します。それを手放しさえすれば清らかな専注が得られるのに、どうしてもそうしたくない心があるのです。苦の消滅への第一歩は、手放すことを決意する事です…

入出息を観るとは、地火風の三界が、鼻孔において万華鏡のように一期一会の千変万化の華を咲かせる様子を観察することです。万華鏡を一心に見入る心が止であり、そこに展開する一瞬一瞬の花々が観です。やがて心と鏡が一体となり、心と花々が一体となり、不…

仏教修行に師は必須ですが、あなたが師を選ぶのではなく、あなたが師に選ばれている事を忘れてはなりません。縁ある師からしか教えを受ける事はできず、高名な師を訪ねても縁が無ければ弟子にはなれません。故にただ真っ直ぐに歩むべし。弟子の徳や学び、業…

ダンマに従って丹念に随念の修習を続けていくと、無常・苦・無我の実感がいよいよ深まっていきます。少しずつ智慧の刃が、世俗諦の概念の壁を切り崩し、世の中が異なる様相で現れてきます。世界の実相が見えてくるのです。概念で捉えた世俗諦を超えて、一歩…

瞑想を始めたばかりの方々にとって、最も大切なことは、背骨を真っ直ぐにすることです。力を抜きつつも頭頂部が上方に引っ張られるように、スッと背骨を高く伸ばすこと。この姿勢さえ保てれば、椅子に座っていようが、立っていようが、歩いていようが、気持…

誰かを怨んでいるなら祝福あれ! あなたはその人を愛することができます。私達は愛せる相手しか憎む事ができません。もし無関心ならば、わざわざその人を害する為にエネルギーを使わないでしょう。誤解を解けば善友になれるのです。方法を見つけましょう!傷…

あなたが苦しいと思うなら、その通り正直に認識してください。その苦に不平を言ってはならない、という無言のバイアスを破砕してしまうのです。どんなことに対しても、正直であるべきです。他人を傷つけずに改善する方法が必ずあるはずです。苦の消滅を決意…

渇愛は虫刺されに似ています。虫に刺されれば痒くて我慢できず、つい掻きむしってしまいます。一瞬の感喜!しかしすぐに痛くなります。掻く歓びを貪る人は、刺されなければ更によい事を理解するべきです。貪欲の一瞬の歓びは、やがて苦へと変化します。渇愛…

私のアスピレーションは、saddhāは、菩提心は、誓願は強固で安定しているだろうか?日々燃え上がっているだろうか?信は無常で持続的実体はなく、気を許せば瞬時に消滅していく。薪をくべなければ不善心により簡単に消えてしまう。故に私は日々祈るのです。…

集中している心はまるでボンドで接着したように瞑想の対象と一体となっているので、専注を外す事ができません。勇気を出してもう少し専注を続けると、身体の内側に光が差し込んできます。最初は一瞬のきらめきのように輝き、やがて光で一杯になります。心は…

常に優しい言葉を語りましょう。鋭い言葉で相手を一刀両断の下に論破する事は論客にはたまらぬ刺激です。しかしその心は慢心と害意で汚染され、そのツケはいつか必ず廻ってくるのです。恥をかかされた相手の執念も、いつあなたに襲いかかるか分かりません。…

私達をめぐる環境は、過去の業果に漏がいかに反応してきたかの結果ですから、先ずそこから始めるしかありません。環境を変えるという戦略は間違っています。そんな事に多くの労力を使い果たすより、先ず自らが置かれた環境で最善を尽くし、依報が徐々に改善…

私達は直接間接を問わず、人間関係なしに生きることはできません。そして多かれ少なかれ、それによって苦しむのです。ここにひとつのヒントがあります。「所有することなしに愛せないのか?」所有欲がどこから生ずるかをあるがままに随念すれば、私達は苦か…

相手の心を掴みたいなら、同意し、褒め称え、歓ばせ、与えよ。相手の助けが欲しいなら、今迄の非礼を詫び、ひれ伏し、当惑してみせよ。どちらの場合も、あなたの慢心が全てを台無しにします。慢心とはあなたが相手より劣っている、同じである、優れている等…

独善的な価値体系や奇異な戒律を盲信する人々は、世間体を気にしつつ、排他的慢心を楽しみます。このような独善的宗教ドグマは釈尊が最も嫌われたもので、実に非仏教的です。人を傷つけず、人に与え、心を浄めよ。仏教はこれに尽きるのです。あなたに慈悲心…

他人が悪くあなたが正しいと思っても、言葉や行動で追い詰めてはいけません。正義は自ずと明らかになるからです。あなたが注意すべきは、決してイライラしないこと。決して怒らないこと。怒っているなら口を開くべからず。嫉妬しているなら問うべからず。怒…

人生の本当の勝負は老境に入ってからどれだけ学び努力するかにかかっています。大抵の人が諦めてしまう五十代、六十代からが真の勝負です。私達は楽を享受する為にではなく、修行する為に人間界に生まれました。苦の終焉を目指して命が尽きるまでもがき、精…

芸術であれ学問であれ、技術や様式は真似る事から始まります。完全にコピーするのです。最初のうちは、「私の個性」とか「私らしさ」等と言わないことです。完全に復元できるまでコピーできたら、あなたの心をそこに投入して下さい。伝統技術と様式を踏まえ…

もし私達が思考し、優れた点を列挙し、比較して選び取ったのなら、それは大したものではありません。本当によいものは向こうからやってきます。私達が選ぶのではなく私達が選ばれるのです。人生を左右するような大切な人や出来事は、自然すぎるほど自然に私…

できれば言語所縁があなたの法所縁の半分以下になるぐらい言語離れをして欲しいと思います。言語を最悪の手段とは言いませんが、信頼に値する媒体と呼ぶには余りに不完全で誤謬に満ちています。涅槃然り、禅定然り、音楽然り、一切の本当に善きものはみな、…

大きな業績を為し社会的に賞賛される人ほど、気を抜いた瞬間に慢心がほとばしり出ます。私達はその時彼の本性を見た!と思うのです。別にそれが彼の本性ではなく慢心は誰にでもあるのですが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は大人物への社会の要請です。謙…