お釈迦様のお姿を一目見ただけで
悟りを得ることも、
お釈迦様のお鉢にお米を入れただけで
聖者の流れに入ることも、
十分にあり得ます。
お釈迦様の大慈悲の光が供養者に注がれ、
彼のSaddhā(信)が
清らかに燃え上がるとき、
それはおこり得ます。
師と弟子の心が感応道交し、
不二となるのです。