見ている当体は眼識。
見ている対象は色彩。
色彩を映し出しているのは眼浄。
どこにも「私」はありません。
眼識も色彩も眼浄も、
生起するや消滅し、
二度と再生しません。
次の刹那には、
新たな識が新たな対象を知覚し、
そのまま消滅していきます。
これが名色の連続体であり、
その無我性です。