一瞬一瞬、五門に感覚対象が生起し、
それを異熟心で感受していく。
それが私達の経験する世界のすべてです。
たとえどんなに快い対象が生起しても、
どんなに受け入れ難い対象が生起しても、
仏教徒が為すべきは、
異熟をただ異熟として了知し、
慈悲と無貪と智慧で反応する、
ということだけです。