三蔵のどこを探しても、
正見を見つけることはできません。
正見は言葉で表現することも、
言葉で理解することもできません。
ではどこに正見があるのか?
あなたが何かを見た時、
見ているのはあなたではなく、
眼識に随起するVedanāだと、
一点の疑問もなく了知した瞬間、
そこに正見があるのです。