多くの人々は三宝への信も危うく、
仏教の教義も知らない状態で、
瞑想に興味を持ち、
少しずつ坐り始めます。
それでまったく問題ありません。
大切なのは心を客観的に見つめ、
先入見なしに取り巻く状況を
あるがままに認識することです。
そうすれば必要な信も教義も、
自然に調っていくでしょう。