論蔵は昔から「唯識三年倶舎八年」と揶揄され、
難解で無味乾燥な煩瑣哲学とされてきました。
相応する具体的現象を見失い、
単なる抽象論として教えられてきたので
無理もありません。
しかしその示す意味を明確に知れば
アビダンマほど面白いものはなく、
論蔵無しの仏教修行など想像もできません。