渇愛は厭悪で塗り替え、
その上で行捨で遠離します。
ある現象に対して渇愛を感じないだけでは、
十分ではありません。
条件が揃えばいつでも感じうるのです。
渇愛の対象に三相、特に苦と危険を見出してこそ、
厭悪の心が生じ、やがて一切の現象を中捨する心、
すなわち行捨の智慧が生まれるのです。