五蘊の連続体には、
聖なる目標はありません。
永遠の大生命に至るわけでもありません。
絶対存在の必須なパーツでも、
不二の本質でもありません。
造物主たる神の作品でもありません。
五蘊の連続体は無明をその種とし、
渇愛と、渇愛を因とする行為により、
あてどなく流れ続けているだけなのです。