「私」という不善な視点は、
いくら哲学的に思惟しても
決して弱まりません。
修行者はダンマをしっかり勉強し、
我を忘れてその実践に身を捧げればよい。
するとあれほど頑固で
決して譲ることのなかった我身見も、
徐々に弱まっていきます。
実践せずに能書きだけ語っていても、
成長はありません。