そこに気づきがある時、必ず手放しがあります。
手放しのない気づきはありません。
今この瞬間、五門の何れかに生起する
所縁を観察せんとするなら、
未だ生起していない、或いは
既に消滅した現象への思惟を
放棄しなくてはなりません。
不善思惟から離れた純粋知覚だけが、
心を煩悩から解放します。