修行の心。

それは正思惟です。

「干からびた川の、水の少ない所にいる魚」のように、

我が物でないものを我が物と執着し動揺してはなりません。

むしろその思いから離れなくてはなりません。

その上で一切有情へ母親のような無条件の慈愛を持つ。

まずはそこからです。

自利の行は必ず失敗します。