断ずる事を前提に妄想に気づきを入れる時、

それをサティとは呼びません。

その気づきは犯人を追う捜査官にすぎず、

中捨平等なく、アプリオリに縛られた、

不善心に近住しています。

サティが生起すれば私達は、

妄想に移ろった一瞬前の心の散乱を、

あるがままに知覚し、

浄心で受容するでしょう。