自分だけは絶対に大丈夫だと思っても、

預流果を証悟して不動の信を得るまで、

突然信が脚下崩壊してしまう危険がいつでもあります。

疑惑はあらゆる方法で心を眩惑しますから、

修行者は信が崩れるどんな些細な兆候も見逃さず、

非仏教的な言動の誘惑を断じ、

悪趣への転生を断固防がねばなりません。