異性や家族に強い愛着を持つとき、
私達が本当に摑んでいるのはその人ではなく、
その人に対する自らの感情です。
一般に、

私達が身の周りのものや人に対して抱く愛情は、
すべて自我への執着から生じているのです。
これを理解すれば、

なぜ聖者への道が

身見の根絶から始まるのかがわかるでしょう。