菩提心が確立されていなければ、
心を専注の対象に留め続けることはできません。
専注していない心に精進はありません。
精進のない心に修行から生ずる法悦はなく、
法悦のない心に禅定も観智も訪れません。
すべては謙虚で誠実な菩提心から始まります。
これは私達が心に刻むべき重要な修行原則です。
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いくら修行に励んでいるつもりでも成長せず、
同じ処をグルグル廻り続ける人がいます。
彼は誤った船に乗っており、
航路を知らぬ船頭が、
誤った流れに入ろうとしているのです。
船とは轉倒した見解、船頭とは自意識です。
正師のもとで正法をいくら学んでも、
結局彼は何も学ぶことができません。
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健全で明晰な意識を臨終の瞬間まで維持し、
涅槃に至る修行を少しでも長く支える為に、
お釈迦様は四資具、即ち、
衣・食・住・薬の使用を定められました。
忌避せず、耽溺せず、
苦痛を除去し意識を明晰に保つ為に、
衣・食・住・薬を賢く用いること、
お釈迦様はそのように弟子達に指示されました。
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私達はみな不完全です。
過ちに気づいたらその場で改め、
同じ間違いを繰り返さぬよう精進すればいいのです。
他人の過ちは大きな心で赦してあげて下さい。
そしていつも「お釈迦様だったらどうされるだろうか?」と、
随念しながら行動するのです。
そうすれば過ちを犯すことはほとんどなくなります。
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有分心は異熟善心であるものの、
凡夫の速行に生ずる業心は、
ほとんどが不善です。
一方、成熟した仏教者の心には、
甘美な善心が絶え間なく生起しています。
その度に清らかな喜びの涙と、
身が縮む程の謙虚さが、
彼の心を席巻します。
平静を装っていますが、
心の中では法悦の涙を流しています。
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目上や目下、子供や友人に至るまで、
決して人の性質や人格、存在そのものを
否定する様な批判をしてはなりません。
個々の誤りを正すにとどめ、
お前は~だ、あの人は~だ、と決めつけてはいけません。
さもないとその人はやがて他人や社会に怯えながら、
怒りをまき散らして生きるようになります。
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言葉は思考の概略を伝えるだけの、
不完全な伝達手段です。
心を震わせる音楽の感動は、
言葉で再現できません。
禅定の境地も涅槃の境地も、
言葉の表現を超えています。
言葉で表現されたものは「戯論」に過ぎぬ故に、
むしろ「不立文字(ふりゅうもんじ)、
文字を立てず」を、潔しとするのです。
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人間に生まれ、仏教に出会い、
師より深淵なる教えを聞くことを得て、
修行方法の開示をも受ける ー
なんという稀なことでしょう!
この人生でそのすべてを得たならば、
今がその時です。次はありません。
何もかもかなぐり捨てて、
必死に精進する以外に、
この人生で為すべきことがあるでしょうか?
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人間として生まれるのは実に稀な事です。
誰でも人間界に再生できると高を括っていると、
足をすくわれます。
日本代表に選ばれたサッカー選手が、
できる限りチームに貢献して、
万が一にも選抜から外されぬよう、
懸命に努力する様に、
私達も修行成就を目指して
必死に善行を尽くさねばなりません。
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生の実相と死の実相を正しく知ることから、
仏教は始まります。
生死の繰り返しが輪廻、
その駆動力が善業と不善業、
善と不善からの解脱が涅槃です。
いまだ輪廻の中にあるも、
涅槃への道程を歩んでいる時、
私達の生死は厭う必要のないものとなります。
それが「輪廻即涅槃」と呼ばれるダンマです。