思考によって随念の道筋を作り、
観想によって場面を設定し、
サティによって感動を得ます。
随念は思考し理解するものではなく、
観察し感動するものです。
そこにサティがあれば思考はなく、
そこに思考があればサティはありません。
今この瞬間はサティによって輝き、
思考によって腐敗します。