2023-01-01から1年間の記事一覧

入息の緊張と出息の弛緩は一往復ごとに切れぎれに認識するのではなく、連続的に滑らかに感受されなくてはなりません。それはgambhīra-Sarabhañña(深き抑揚)と呼ばれ、聖黙の音楽のように私達を禅定へといざないます。静かに滑らかに、途切れなく反復する接触…

一切の事象は緊張と弛緩を繰り返しながら時間軸に沿って消滅に向かいます。緊張は弓を引くが如く、弛緩は矢を放つが如しです。私達の心身も入息と共に緊張し、出息と共に弛緩します。出息の時はその時執着している対象を手放すと観想しつつ身体を弛緩しなが…

いかに強固な信念であろうと、それが欲界の事象を対象としている限り必ず疑いと動揺、そして戯論が生じます。梵天界の意識である禅定は、Samāpatti(定)に基づくものであり、毎瞬毎瞬同じ質を持つ心が生起し続けます。信念も慈悲も正念正智も、この禅定を土…

修行道と長距離走は多くの相通じるものがあります。長距離で他人を意識した瞬間、たとえ3キロであっても苦痛の連続となります。外界への感覚を閉じ、入息と出息の反復だけに専注すれば、熱狂と感喜がそこにあるのです。やがて「どこまででも走れる!」という…

背丈より高い雑草原を突き抜けていくには自らが通れるだけの幅の轍があれば十分です。混沌とした世俗に於て世法の様々を読み解いて植物の分析をする事は世尊の道ではありません。脇道には目もくれず、世尊の通った轍を一目散に駆け抜けていくことだけが、こ…