ひとつの現象の生起には、
無数の複雑な因と条件が必要です。
個々の現象は無数の縁起によりバラバラに生じます。
「Aという事象の故にBという事象が生ずる」とする想定は、
ナイーブな読み方に過ぎません。
歴史学者も社会学者も、
みなこの不確実な読解法に依存するが故に、
いつも間違えるのです。
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仏教は死ぬことと見つけたり。
長命する前提で思考し、計画し、行動すれば、
謬見の上の砂上の楼閣となり、
苦を逃れるすべはありません。
今この瞬間にも死が訪れると観じ、
一瞬一瞬、全力を尽くすのが仏教的生き方です。
これは死随念として体系化されており、
傳修院でその方法を指導しています。
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信に基づく不動の義というものがあります。
心は、盛運の時には、
利を見込んで浮き足立ちますが、
苦難の時は動揺し、
信と義が試されます。
人としての真価がそこで露呈します。
心が燃えている者は幸いなるかな。
道を定めた者は幸いなるかな。
利にさとく信義に暗い人に、
真の勝利は訪れません。
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参学者はやるべき事をやらねばなりません。
努力を怠ればツケを払うのはあなた自身です。
修業日誌をつける事から始めて下さい。
日々の修行について自身と語り合う習慣を身に付け、
自らに恥じない修行を行うのです。
そしてPāramīcardを必ず提出すること。
請願がなければ修行は絶対に成功しません。