信は、すべてを支える根本です。
菩提樹を繰り出す種子であり、
解脱に至る主因です。
慈悲は、滋養あふれる土壌です。
一切の生命を決して傷つけまいとする決意です。
その上で、学びの慈雨を得て、
涅槃である太陽を目指して、
止観行の年輪を重ねていく。
仏教修行は、そのようにできているのです。
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無常を随念し、無常の故に生ずる苦を随念し、
苦の故に了知する無我を随念し、
煩悩の遮断を随念し、離貪を随念す。
一切の現象は不快なる事を随念し、
貪る喜びを随念し、体内の虫を随念し、
危険を随念し、名色の滅尽を随念し、行苦を随念す。
これらの至宝が経蔵にあるのに、
なぜ実践されていないのでしょうか?
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私の心に深く脈打つこの感謝の想い、
それだけが唯一の真実です。
誰が何と言おうと、
今、ここで燃えているのです。
「この恩にどう報いることができるでしょうか?」
そう自問すると、
感謝に震える心は私に答えてくれます。
「一刻も早く自己完成しなさい。
それが御恩に報いる唯一の道なのです。」
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最初期の仏教は他律ではなく自律であったことは明らかです。
僧伽の後継者が律を統治に用いつつ加筆した為か、
律の放つ香りは経蔵・論蔵の高貴なそれとは明らかに異なります。
五戒の領域内で謹んでいればよいというものではありません。
ダンマに沿って自らを律していかなければ仏教は成立しません。
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今吸いつつあるその息は、
一瞬のうちに消滅してしまう、
かけがえのない息です。
今吐きつつあるその息には、
私達が希求する静寂と至福があります。
入出息の一瞬一瞬が、
キラキラ輝く奇跡の連続です。
目を閉じて息を吸うだけで、
至高なる真理と一体となれる、
それがアナパナ瞑想のすごさです。
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ケースに入れておかなければ、
楽器は傷つき、
薬瓶にいれておかなければ、
錠剤は散逸してしまいます。
形から入ることを嫌う人がいますが、
様式は「中身を運ぶ容れもの」です。
四十種類のサマタ瞑想、
七清浄の修行階梯。
七科三十七道品。
これらの優れた様式の中で、
正見が育っていくのです。
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勇気を出して自らの人間関係を
すべて正常化しましょう。
他人が自分に対して何をしたかではなく、
自分が他人に対して何をしたか、
それだけを問うのです。
赦し、感謝、慈悲、謝罪、懺悔。
二度と顔を合わせられない関係を、
正常に戻す事は無上の善行であり、
深い至福を双方にもたらしてくれます。
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計画を立てる時、進路に迷った時、
次の方法を実践して下さい。
「お釈迦様ならどうされるだろう?
お釈迦様にお訊きしたら何とお答えになるだろう?」
そう深く随念した後、その思考を離れ、
一心に安般念を行います。
心が充分満足したら専注から出て下さい。
お釈迦様のお答えは目の前にあります。