ダンマを随念していると突然、慧の閃光がおこり、
ダンマの直観的理解が訪れる瞬間があります。
それは正に至福の瞬間、
私達の心に智が了知される瞬間です。
了知され蓄積された智と、
揺らぐことのない不動の信の力によって、
心は次第に、自然に、八正道に向かい、
もはや離れる事がなくなります。

毎日ダンマを学び続ければ、
あるがままのリアリティに至れるでしょう。
本を読んだりテープを聴いたりという、
「私」を排除しきれない行為だけでは、
学びは成立しません。
日々、暗記した一行のダンマを、
身の周りのありとあらゆる現象に見出していく。
それこそがダンマを学ぶ事に他なりません。

一切の現象は生起するや否や消滅し、
永久に戻ってきません。
それが一切皆苦の本義です。
各瞬間は消滅し、
「私」に紐付けされた記憶だけが残ります。
朝に経験した現象は今はなく、
夜に対峙するだろう現象は未だありません。
その瞬間を生きる為には、
概念の世界に生きる事からの決別が必要です。

「如何に智慧を育む事ができるか?」
「如何に離貪を確立する事ができるか?」
質問しているのは無明と渇愛に汚された不善思考に過ぎません。
今この瞬間を理解していないなら、
どうして過去や未来を理解できるでしょう?
「今この瞬間に八正道はあるか?」
それが問う価値あるただ一つの質問です。

身口意による善行・不善行の傾向性は、
毎瞬毎瞬、習気として意識の連続体に蓄積されていきます。
ダンマを聞き随念する行為の善性と無量の価値は、
これから先も決して失われることはありません。
今この一瞬の慧の煌めきは蓄積され、
数え切れぬ程先の未来の転生においても、
明るい光を放つのです。

この世界は人で溢れているように見えます。
しかし実際は、おびただしい数の名と色が、
原因と条件によって生起し、生起した瞬間に消滅し、
消滅するや否や新たな名色が再び生起する連続体の集合に過ぎません。
善なる心も不善なる心も刹那的現象に過ぎず、
「私」にも「あなた」にも属していません。

消滅した現象は二度と生起しません。
過去や未来、概念や思考に生きる事に、
どんな意味があるのか。
無常を常、苦を楽、無我を実と見誤りつつ、
無明の輪廻に縛られて生きる事に、
どんなメリットがあるのか。
私達は「今この瞬間」と共にある意味を、
もう一度深く随念してみようではありませんか。

ダンマの学習とは過去の講義文献を学ぶ事ではありません。
涙あふれるアスピレーションで釈尊のみもとに歩み寄り、
一言も聞き漏らさず、
その場ですべてを暗記する程の集中力で法を聞く。
その時、深い理解があなたの心に顕現します。
Pariyattiとは本来、そのような一期一会の法の授受をいうのです。

ある人が何かを見る時、
そこには見るための肉体器官があり、
見るという眼識の働きがあり、
見られる対象があります。
しかしその対象を見る当体はどこにもありません。
眼も、眼識も、色彩所縁も、
すべて瞬間的に生起し、消滅するダンマであり、
そこに継続的に存在するものは何もありません。

今この瞬間と共にあるとはどういうことでしょうか?
例えばあなたが私の話を聞く時、
もし私の声を聞いていれば、あなたはその瞬間と共にあります。
もし私の話す内容を理解しようとしていれば、
あなたの心はその瞬間と共にはありません。
今この瞬間と共にある時、思考が介在することはありません。

真剣な修行を徹底的にやっていると、
周りで起こっている煩瑣な雑事が分別できなくなっていきます。
僧院の日常や自分を取り巻く状況を、
ぼんやりとしか認識できなくなります。
それでよいのです!
外界がどんどん不明瞭になるに従って、
あなたの呼吸は、ますます瑞々しい現実となっていくのです。

絶対に揺るぐことのない一境性(Ekaggatā)を自らのうちに確立する。
それが本格的修行の第一歩です。
苦に終止符を打ち、涅槃を証悟する為のすべての修行の基礎となります。
呼吸と完全に一つとなった一境性こそが、
これから先の修行を実践していくための私達自身の作業場(業処)なのです。

安般念の修習によって、
修行の精神的基盤があなたの心奥につくられます。
どんな時でも心はブレることなく、
呼吸と一体となっていくでしょう。
より深い安止定に入ろうと思えば、
一瞬にして入定できるようになります。
この状態に至ればいよいよ、
次なる高度な修行法に進んでいく準備が整います。

心が常に呼吸と共にいるようになると、
「今この瞬間への気づき」と「心に映し出される呼吸」が、
一体となっていきます。
気づきと呼吸は、どちらも非常に鋭く微細になり、
ついに心と気づきと呼吸の区別がなくなり、
一つになってしまいます。
その時あなたの心は至福と一境性に席巻されるでしょう。

朝起きてから寝るまで呼吸だけに注意を向け続けるのは、
容易なことではありません。
おそらくほとんどの時間、
自分の心を力づくで呼吸に縛り付けなくてはならないでしょう。
しかしもし、
気づきを一瞬たりとも呼吸からそらさない、と決意するなら、
あなたはいつか必ず成功するはずです。