私はこれが好き、これは嫌い、
これは正しい、これは誤っているという
先入見に囚われたまま言葉を聞き、
好嫌・正誤を振り分けているなら、
なぜ聞く必要があるでしょうか?
如何なる前提も先入見もなく
聞かねばなりません。
そうでない時、私達は明らかに、
自分の先入見を聞いているに過ぎません。