経験する不快な現象は、
自らの不善業の結果です。
生きている限り、
理不尽な事象を避けることはできません。
私達は正当な理由があると、
それに頼んで反論や反撃の刺激に身を任せますが、
仏教的にはそこに如何なる義もありません。
理不尽な現象にも聖者の如く対峙せよ、
それがみ仏の教えです。