あなたがスマホを見る時、
見ているのはあなたではありません。
眼門に生ずる名色、
正確には眼浄色と眼識が、
「見る」という働きを形成し、
対象であるスマホを感受します。
謂わば「見る」という働きが
スマホを見ているに過ぎません。
しかし自我に妄執するあなたは
見ているのは自分だと主張します。