手のひらを見て下さい。
見ているのは眼識 - Cakkhuviññāṇa
であり、あなたではありません。
「えっ、私が見ているんじゃないんですか?」
私達は「私」を想定し執着しますが、
それは概念上、仮に設定した
「知る視点」に過ぎず、
そこに如何なる実体もありません。
これが我見と言われる煩惱です。